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平田内蔵吉 : ミニ英和和英辞書
平田内蔵吉[ひらた くらきち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [うち]
 【名詞】 1. inside 
内蔵 : [うちくら, ないぞう]
  1. (n,vs) involvement 2. internal (e.g., disk) 
: [そう, くら, ぞう]
 【名詞】 1. warehouse 2. cellar 3. magazine 4. granary 5. godown 6. depository 7. treasury 8. elevator

平田内蔵吉 : ウィキペディア日本語版
平田内蔵吉[ひらた くらきち]
平田 内蔵吉(ひらた くらきち、1901年 - 1945年)は、日本の医学者(民間療法家)、詩人。
兵庫県赤穂市出身。弟の平田晋策は戦争小説家。長男の平田穂生シナリオライター。孫の平田オリザは劇作家である。
== 略歴 ==

*薬種商であった平田夫平・静夫妻の長男として誕生。
*1925年 京都大学医学部入学。在学中に義母が胆石症を患ったが、加藤幾太郎の無痕灸(温熱瞬間療法)を受け約2週間で全治したことで鍼灸の道へ進む。
*1927年 加藤幾太郎の大日本温熱療法研究所に入所。
*1930年 独自の温熱療法である平田式心理療法(熱針術)を提唱し、後にヘンリー・ヘッドが提唱したヘッド帯を発展させ、古来の東洋医学の経絡経穴の比較検討により「平田式体表十二反応帯」(平田氏帯)を提唱する。
*1936年 肥田春充と出会い、肥田式強健術を学び、新たな操練法(経絡式中心操練法)を考案した。そして肥田と共同で経絡式中心操練法を「国民体育」として発表した。
*1944年 8月応召。1945年沖縄県大里村にて戦死。
その他、民間療法の他に、坐の哲学と日本精神の真髄を追究したり、吉凶判断も研究したりしていた。
平田は、自らが創始した療法体系を「皇方医学」(皇法医学)と名付けた。平田に学んだ奥山龍峰 (初代)が開いた八光流柔術に「皇方医学」(皇法医学)や吉凶判断は受け継がれたが、八光流の皇方医学は、指圧を中心に、整骨法、体操(護身体操、脊椎運動法)などのみで、平田の皇方医学の全てを伝えていない。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「平田内蔵吉」の詳細全文を読む




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