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平岡和徳 : ミニ英和和英辞書
平岡和徳[ひらおか かずのり]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm
: [こう, おか]
 【名詞】 1. hill 2. height 3. knoll 4. rising ground
: [わ]
 【名詞】 1. (1) sum 2. (2) harmony 3. peace 

平岡和徳 : ウィキペディア日本語版
平岡和徳[ひらおか かずのり]

平岡和徳(ひらおか かずのり、1965年7月27日 - )は、熊本県下益城郡松橋町(現・宇城市)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。
== 略歴 ==
小学生時代より将来を嘱望された選手であり、熊本県松橋中学から帝京高等学校へサッカー留学。
3年生の時には主将としてFWの前田治やMFの広瀬治らと共に、1983年度全国高校サッカー選手権において3度目の全国制覇を果たした〔清水東高校との決勝戦において前田治の決勝点となるアシスト(左サイドからのクロス)をしたのは彼である。〕。
1984年に筑波大学へ進学。4年生の時には主将を務め、副主将の長谷川健太(現在清水エスパルス監督)と共に1987年の総理大臣杯準優勝、4年ぶり6度目の関東大学リーグ制覇に貢献し名門復活の足掛りを築いた(元日本代表の中山雅史井原正巳は2年後輩にあたる)。大学卒業時には日本サッカーリーグのクラブからオファーを受けるが、これを固辞し、恩師である古沼貞雄(元帝京高校監督)と同じ指導者の道を歩む事になった〔指導者の道を選択したが彼のセンス、テクニックは非凡なものがあり、当時の日本サッカー界は未だプロリーグ化されていなかったとはいえ、選手として表舞台に立てなかった事を残念であるという声も多い。〕。
これは熊本から帝京高校へ越境入学する際、教師である父親と卒業後は筑波大へ進学し、熊本に教員として戻ると約束していたためである。〔朝日新聞デジタルhttp://mytown.asahi.com/kumamoto/news.php?k_id=44000139999990293〕
1988年から熊本県立熊本商業高等学校サッカー部監督を務めていたが、1993年熊本県立大津高等学校に異動し同校のサッカー部監督に就任。これまで多くのJリーガーを輩出し、2006年のワールドカップ・ドイツ大会には巻誠一郎日本代表として送り出している。
2008年、J2ロアッソ熊本持株会理事に就任。
==脚注==





抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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