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川端輝鎮 : ミニ英和和英辞書
川端輝鎮[かわばた]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
川端 : [かわばた]
 【名詞】 1. riverbank 
: [はし]
 【名詞】 1. end (e.g., of street) 2. edge 3. tip 4. margin 5. point

川端輝鎮 ( リダイレクト:川畑輝鎮 ) : ウィキペディア日本語版
川畑輝鎮[かわばた きしん]

川畑 輝鎮(かわばた きしん、1965年4月29日 - )は、日本男性プロレスラーである。本名は川畑 輝(かわばた ひかる)。鹿児島県出身。最終学歴は専修大学卒業。
== 経歴 ==
専修大学時代は相撲部に在籍し、全国学生相撲大会115kg以下級で3位の実績を持つ。
プロレスデビューは1991年9月16日、SWSにて平井伸和とのタッグで片山明山中鉄也組と対戦した。
SWS崩壊後はインディー団体を転々としていくことになる。SWS崩壊後しばらくはNOWなど特定の団体に所属していたが、1998年からはフリーランスとして活動を開始する。
インディー時代、そのキャリアに似合わぬ落ち着いた雰囲気から、『若き重鎮』と呼ばれる。
2000年末の有明コロシアム大会でプロレスリング・ノアに初参戦。その後、1年間フリーランスとしてノアに参戦していたが、2001年末に正式に所属選手となった。モハメド・ヨネも同時期に入団している。
ノア入団後は中堅どころで目立たなく、大学の後輩でもある秋山準に「健康のためにプロレスをやっている」と言われて奮起。2004年5月、白GHC(グローバル・ハードコア・クラウン)に挑戦するも敗北。齋藤彰俊率いるダーク・エージェントへの加入を目指し、「ダーク引越センター下請け業者」を経てついに正式加入を認められた。
2006年10月、再度白GHCに挑戦するが敗北。この時の王者・志賀賢太郎はパンチパーマのキャラクターでブレイク中であり、川畑は強制パンチパーマの罰ゲームを受けるが、次第に志賀と意気投合するようになり、志賀とのタッグを組む機会が多くなった。2007年、グローバル・ハードコア・クラウン王座タッグトーナメントに志賀と組んで「パンパーズ(=パンチパーマブラザーズ)」を名乗り出場。決勝で潮崎豪・谷口周平組を破り第6代白GHC王者となった。志賀の愛称「アニキ」に対し、川畑は「カシラ」と呼ばれていた。
パンパーズとしてヨーロッパ遠征も行い、白GHCは防衛回数を重ねるもののパンパーズのライバルとなりうるタッグが現れず、2007年11月、個々のレベルアップを図るためとして志賀とのコンビを発展解消することを決意。パンパース対決を制した川畑はシングル王者として第7代白GHC王者となった。
穏和な外見から、「パパ」の愛称で古くから親しまれている。実際既婚で子供もいる。これまで過去に所属したすべての団体が崩壊しており一部では「団体クラッシャー」と嘯かれていたが、ノア入団によって苦節十年にして安住の地を得ることとなった。しかし2009年12月末日付で「年間報酬保障フリー選手契約が満了」〔選手、レフェリー契約についてのお知らせ プロレスリング・ノア公式サイト 2010年1月8日〕となりノアを退団、フリーとなった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「川畑輝鎮」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Hikaru Kawabata 」があります。




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