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川中島バス : ミニ英和和英辞書
川中島バス[かわなかじまばす]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [なか]
 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among 
中島 : [なかしま, なかじま]
 【名詞】 1. island in a pond or river 
: [しま]
 【名詞】 1. island 

川中島バス : ウィキペディア日本語版
川中島バス[かわなかじまばす]

川中島バス(かわなかじまバス)はアルピコ交通が運行するバス事業のうち、長野県北部地域で主に運営しているバス事業の愛称である。
この項では、前身である「川中島自動車」「川中島バス」およびアルピコ交通長野支社のバス路線について記述する。
== 沿革 ==

=== 創業期 ===
川中島バスの直接的なルーツは、1925年12月23日長野県更級郡川中島村上氷鉋を拠点として設立された川中島自動車であるが、2008年現在の川中島バスが主な営業エリアとしている地域に乗合自動車が走り始めたのは、それ以前の1916年5月に上水内郡小川村の高府自動車商会が運行開始した、長野と高府を結ぶ路線の開設に端を発する〔。この後も長野市以南には、1918年12月26日に北信自動車馬車により松代と篠ノ井を結ぶ路線の運行が開始されたのをはじめとして、戸倉・更埴にも乗合自動車の運行が開始されたほか、個人事業者による乗合自動車運行も数多く開始された〔。また、長野県全体でも、1910年には南信自動車(信南交通の前身)が設立されているほか、1913年には丸子自動車が、1918年には佐久自動車商会(千曲バスの前身)が設立されていた〔。
こうした中、1915年中野を拠点としていた平穏自動車を譲り受けた宇都宮信衛は、早い時期に自動車輸送に将来を見出していたとされており〔、1923年には個人名義で長野市内に5路線の乗合自動車の運行を開始していた〔。宇都宮信衛は、長野駅・善光寺を拠点として、戸倉・信州新町(以下単に「新町」とする)・戸隠を結ぶ乗合自動車の構想を立案し、篤志家や六十三銀行の出資や賛同を得た〔上で、1925年に資本金10万円で川中島自動車を設立した〔。そして、1926年3月30日付けで乗合自動車の許可を受け、同年4月4日より長野と上山田を結ぶ路線の運行を開始した〔。当初は1日8往復で、運賃は片道1円52銭であった〔。同年5月には篠ノ井と新町、稲荷山と新町を結ぶ路線の運行を開始、さらに6月には川中島と笹平を結ぶ路線の運行が開始されている。また、乗用貸切自動車の営業も、同年4月から開始している〔。
1927年に入ってからも、川中島自動車は路線網の拡大を進めた。同年9月には笹平から川中島を結ぶ区間を開設した上で川中島と高府を結ぶ路線とし、川中島では既に運行されていた長野への路線と連絡するようになった〔。その一方で、同年には長野温泉自動車が設立されたが、宇都宮信衛は個人名義で運行していた路線を譲渡することでその設立を支援した〔上、自らも同社の副社長に就任した〔。同年には妙高高原地区において妙高自動車を設立することで、新潟県内にも進出した〔。
この頃、1928年には不況対策として、運賃の大幅な値下げを行ったうえで各種の割引乗車券の発売も行った〔が、これは経営を圧迫する結果に終わり、1930年には全社員の減給や人員削減を余儀なくされている〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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