翻訳と辞書
Words near each other
・ 崇徳駅
・ 崇徳高校
・ 崇徳高校グリークラブ
・ 崇徳高等学校
・ 崇恩太后
・ 崇慶
・ 崇慶 (金)
・ 崇拜
・ 崇拝
・ 崇拝者
崇政院
・ 崇教真光
・ 崇教館
・ 崇敬
・ 崇文区
・ 崇文門駅
・ 崇明
・ 崇明島
・ 崇明県
・ 崇明門院


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

崇政院 : ミニ英和和英辞書
崇政院[いん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [せい, まつりごと]
 【名詞】 1. rule 2. government 

崇政院 ( リダイレクト:枢密院 (中国) ) : ウィキペディア日本語版
枢密院 (中国)[すうみついん]
枢密院(すうみついん)は、唐代中期に設置された主として軍制を掌った中央官庁である。軍政を統轄したが、軍隊の指揮権はなかった。以後、五代の各王朝、と歴代王朝に継承され、代に廃止された。
==唐代から五代十国==
唐代の枢密院は「内枢密使」と称され、宦官が任命された。宦官が枢密使の職責を掌握した状態はそれ以前から存在したが、憲宗の時代に設置された。設立当初は独自の官署を有せず、当初は皇帝と宰相等の大臣の間の伝送を担当した。そのため宦官の政治介入に有利な性格を有し、後代になると宰相と共に朝政に深く関与するようになった。また穆宗以降になると皇帝の廃立にも容喙するようになっている。朱全忠が唐を滅ぼし後梁を建国するとこれを廃止、改めて崇政院(すうせいいん)を設置し官人を任命、また独自の官署が設置されている。後唐が後梁を滅ぼすと、唐制の多くが復活したが、枢密使は再設置されず、崇政院を「枢密院」と改称しその機能を維持した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「枢密院 (中国)」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.