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島津忠朝 : ミニ英和和英辞書
島津忠朝[しまづ ただとも]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [しま]
 【名詞】 1. island 
: [あさ, ちょう]
 (n-adv,n-t) morning

島津忠朝 : ウィキペディア日本語版
島津忠朝[しまづ ただとも]
島津 忠朝(しまづ ただとも、?-天文9年3月3日(1540年4月9日))は室町時代後期の薩摩国の人。島津氏の分家、豊州家3代当主。父は2代当主の島津忠廉通称は二郎三郎、右馬介。官は豊後守。子に島津忠広(4代当主)。
薩摩島津氏の分家、豊州家3代当主。2代忠廉の子。延徳2年(1490年)、忠廉の死去により家督を継ぐ。明応5年(1495年)、島津宗家11代当主島津忠昌の家老である平田兼宗が反乱を起こした際には鎮圧を命じられ、兼宗の居城である大隅岩弘城を攻略。この功績により大隅串良の領土を安堵される。
天文元年(1532年)、北郷忠相北原久兼と連合して伊東氏領の三俣院高城を大軍で攻め、伊東軍に深刻な被害を与えた。
島津宗家において薩州家島津実久伊作家島津忠良貴久親子との間で家督を巡った争いが起きると、忠朝は両者の和議を図るも失敗、実久側に味方することになった。志布志新納氏は実久からの誘いを拒んだため、天文7年(1538年)、忠朝らは北郷氏らとともに新納氏を攻撃。志布志城に迫ると新納氏を追放した。志布志を手に入れた忠朝は志布志へ移り、長子の忠広に飫肥を任せた。
忠良・貴久父子が薩摩半島を掌握して対立を深めていく中で、天文9年3月3日(1540年4月9日)死去した〔大山智美「戦国大名島津氏の権力形成過程―島津貴久の家督継承と官途拝領を中心に―」(初出:『比較社会文化研究』25号(2009年)/所収:新名一仁 編『シリーズ・中世西国武士の研究 第一巻 薩摩島津氏』(戎光祥出版、2014年) ISBN 978-4-86403-103-5)〕。

== 脚注 ==

category:室町時代の人物

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「島津忠朝」の詳細全文を読む




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