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山崎春美 : ミニ英和和英辞書
山崎春美[やまざき はるみ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [みさき]
 (n) cape (on coast)
: [はる]
  1. (n-adv,n-t) spring 
: [び]
  1. (n,n-suf) beauty 

山崎春美 : ウィキペディア日本語版
山崎春美[やまざき はるみ]

山崎春美(やまざき はるみ、1958年9月2日 - )は、日本ロックミュージシャン編集者ライター。雑誌「HEAVEN」3代目編集長。
前衛的なロックバンドガセネタ、タコなどで活動。
== 来歴 ==
1975年、大阪の高校生だった山崎春美は、阿木譲の「ロック・マガジン」に美文を執筆し、注目される。
1977年、上京。大里俊晴連続射殺魔の浜野純らと、明治大学の現代音楽ゼミで知り合い、自称「ハードロック」バンド「ガセネタ」を結成する。「吉祥寺マイナー」などで活動し、灰野敬二白石民夫工藤冬里、当時は音楽活動をせず役者を目指していたECDをはじめ、また、東京ロッカーズのバンドたちなど多くのアンダーグラウンドなミュージシャンと交流を持つ。
1977年、佐内順一郎(高杉弾)と知り合い、自販機雑誌「JAM」の編集に参加。また、松岡正剛の「遊塾」(日遊塾)にも入り、「遊」増刊号を編集。
1978年、山崎がリスペクトしていた阿部薫が他界。阿部の妻である鈴木いづみとも交流があり、山崎をモデルにした「ラブ・オブ・スピード」という小説も書かれている。また、ガセネタに対して「このバンドの為なら何でもする」と語った音楽評論家の間章〔ガセネタ「Sooner or Later」帯文より〕も同年に他界。
1979年、ガセネタは解散。
1980年、「JAM」の後継誌である雑誌「HEAVEN」の創刊に参加。同年11月に佐内順一郎、近藤十四郎に続いて、山崎が3代目編集長となる。野々村文宏を副編集長兼ライターとし、また、「遊」の工作舎で知り合ったまだ医大生の香山リカをライターデビューさせ、彼女のペンネームの名付け親となる。さらに祖父江慎細川周平、美沢真之助(隅田川乱一)なども参加。
同年、「タコ」を結成。タコは、吉祥寺マイナーのイベント「愛欲人民十時劇場」「剰余価値分解工場」にて、山崎を中心に、イベントの主宰者であった白石民夫、そして大里俊晴、後飯塚僚、平野勝、田中トシが集い、美沢真之助、山本土壺らが介入、さらにロリータ順子(篠崎順子)が加わり、後に1st.アルバムに参加するミュージシャン達を巻きこんでいくなど、音楽的・出版的人間関係から集まった不定形の即興音楽集団だった。
1981年、前述のライブのオムニバス・アルバム『愛欲人民十時劇場』がピナコテカレコードよりリリース(「山崎春美グループ」名義で収録)。さらに、灰野敬二に続くピナコテカレコード第2弾として1st.アルバムをリリースする予定だったが中止となる。(この幻の「タコ/1st」は、2012年発売の『タコBOX 甘ちゃん』に収録)
1982年、「自殺未遂ライブ」と称し、ステージで手首をナイフで切り、救急車で運ばれた。その会場でのドクター役は、香山リカがつとめていた。
1983年、山崎の歌詞と、坂本龍一遠藤ミチロウ町田町蔵、工藤冬里、上野耕路、宮沢正一、NON、川島バナナなど多彩な参加ミュージシャンとのコラボレーションによる1st.アルバム『タコ』 を発表。ピナコテカレコードからのリリースで、ジャケットは花輪和一合田佐和子だった。また、日比谷野外音楽堂で行われた、雑誌「HEAVEN」主催のイベント「天国注射の昼」を開催。じゃがたら、町田町蔵、THE FOOLSGAUZE突然段ボールコクシネルなど当時のアンダーグラウンドシーンで活躍するバンドが多数出演した。
しかしその後、山崎は「家業を継ぐ」と大阪に帰郷。タコは解散。雑誌「HEAVEN」は香山リカ、及びデザイナー陣が以降の編集を担当した。
1984年、1983年11月法政大学学館ホール、同志社大学学館ホールでのライブを収録した2nd.アルバム『セカンド』をリリース。このライブでのメンバーは山崎、大里俊晴、佐藤薫(EP-4)、野々村文宏の4人。また、ジャケットは霜田恵美子だった。
1986年、町田町蔵、元INUの北田昌宏と「至福団」を結成し、カセットブック『どてらいやつら』をリリース。山崎は、このカセットブックのブックレットの編集を担当した(ただし音源でも一曲だけ台詞を読んでいる)。
1987年、山崎の公私ともにパートナーであった、ロリータ順子が他界。
1992年、大里俊晴によるガセネタの伝記的な小説『ガセネタの荒野』が発売。
1993年、PSFレコードより、ガセネタの1978年のライブ、スタジオライブが収録されたアルバム『Sooner or Later』がリリースされる。
1994年北村昌士のSSEレーベルより、タコの2枚のアルバムがカップリングでCD『タコ大全』としてリリースされたが、町田町蔵がゲストヴォーカルを務める曲「きらら」は自主規制音が入り、また宮沢正一や遠藤ミチロウが参加した「赤い旅団」に至っては同じく自主規制として一切の情報が記載されない等内容の不備があり、また作品自体も山崎の許可を得ずにプレスされた海賊盤であった。
2009年、山崎のガセネタからの盟友である大里俊晴が他界。
2011年、タコの2枚のアルバムがディスク・ユニオンよりリマスタリングされた紙ジャケットCDとして再発。ライナーには、山崎を始め、香山リカ、佐藤薫、野々村文宏の文章が掲載されている。そして、山崎と佐藤薫の監修による10枚組CDボックスセット『ちらかしっぱなし-ガセネタ in the BOX』がリリースされた。
2012年、初期タコにてサウンド面で大きな役割を果たした白石民夫をフィーチャーした4枚組CDボックスセット『タコBOX Vol.1 甘ちゃん』をリリース。また、山崎はタコ名義でライブを行い、活動を再開。
2013年、これまで書き紡いだ原稿を自選した集大成の初著書『天國のをりものが:山崎春美著作集1976-2013』を発売。
2015年11月、後期タコの音源を収録した4枚組CDボックスセット『タコBOX Vol.2 8ナンバー』をリリース。そして新宿ロフトにて「大里俊晴七回忌」として、遠藤ミチロウ、乾純、佐藤薫、工藤冬里、久下恵生、向島ゆり子、後飯塚僚、野々村文宏、香山リカなどかつてのメンバー・関係者が集ったライブ「SHINDACO〜死んだ子の齢だけは数えておかねばならない」を開催。ロリータ順子のパートは当時彼女と交遊があった戸川純が歌った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「山崎春美」の詳細全文を読む




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