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山中昌福 : ミニ英和和英辞書
山中昌福[やまなか まさとみ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
山中 : [さんちゅう]
 【名詞】 1. among the mountains 
: [なか]
 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among 
: [ふく]
 【名詞】 1. good fortune 

山中昌福 : ウィキペディア日本語版
山中昌福[やまなか まさとみ]
山中 昌福(やまなか まさとみ、生年不詳 - 1832年12月14日天保3年11月23日))は、日本の江戸時代庄屋出雲国の戦国武将山中幸盛の子孫。山中常耀の長男、母は不詳、または好助、猪右衛門とも称した、通称は(8代目)吉和屋彌右衛門と称した。長女は、お津禰(おつね)。
墓所は広島市佐伯区の光禅寺境内山中家墓地にあり、法号は釋日転淨輪信士。
== 生涯 ==
寛政3年(1791年)12月6日に父である山中常耀が没したために家督を相続し(8代目)吉和屋彌右衛門と称し、事業を継承し塩浜経営に専念した。夫妻には男子が無かった為、長女のお津禰(おつね)に婿養子を迎えた。
山中常諦以降の歴代の吉和屋(山中家)の当主は吉和屋彌右衛門の通称を継承し塩浜経営を行ったが、江戸後期に入ると塩田不況により、有力な浜主も塩浜をやむなく手放さざるを得なくなり、海老塩浜の塩浜も衰退していき、天保年間には吉和屋(山中家)は塩田不況の影響により塩浜経営に失敗し、多額の借金を背負ったために没落への道を辿る事になった。
江戸時代後期に安芸広島藩が総力を挙げて編纂した書物「芸藩通史55巻」の安芸佐伯郡古家の項に「海老塩浜山中氏、先祖孫右衛門某、山中鹿之助幸盛が女を娶り、草津村に住す、裔孫、海老に移り、数代里職たり、孫左衛門より、今好助に至る9世」とあるが、9世好助とは、山中昌福(8代吉和屋彌右衛門)の事である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「山中昌福」の詳細全文を読む




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