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山下亀三郎 : ミニ英和和英辞書
山下亀三郎[やました かめさぶろう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [した, もと]
 (adv) under (esp. influence or guidance)
: [かめ]
 【名詞】 1. tortoise 2. turtle 
: [み]
  1. (num) three 

山下亀三郎 : ウィキペディア日本語版
山下亀三郎[やました かめさぶろう]

山下 亀三郎(やました かめさぶろう、1867年5月12日慶応3年4月9日) - 1944年昭和19年)12月13日)は日本実業家勲一等山下汽船(現・商船三井)・山下財閥の創業者。勝田銀次郎内田信也と並ぶ三大船成金の一人。
== 生涯 ==

=== 生い立ち ===
1867年(慶応3年)、伊予国宇和郡河内村(現: 宇和島市吉田町)の庄屋・山下家の7人兄弟の末子として生まれた。山下は庄屋の家に生まれたことを心の糧とし、同時に庄屋の子として厳しく躾けられた。
宇和島の旧制南予中学校(現: 愛媛県立宇和島東高等学校)に入学したが、1882年明治15年)に同校を中退し、出奔した。しかし、家出したその日の宇和島は暴風雨に襲われやむなく知人の家に厄介になっていた。すると、母からの使いの者が現われ「男子がいったん村を逃げて出て、おめおめ村へ帰ってくるようなことがあってはならない。大手を振って村の道が歩いて帰れるようになるまで帰ってくるな」と伝言を告げた。この言葉を背に山下は四国を後にする。
大阪に出たが、家出少年を雇ってくれるところはなく、京都の友人を頼って祇園清井町の下宿宿に世話になり、小学校の助教員を務める。京都の生活で、新島襄を助けて同志社を設立した山本覚馬と出会い、山本が主宰する私塾にも足を運ぶようになる。
山本の勧めで東京に出て、明治法律学校(現: 明治大学)に入学する。ここには、明治民法の起草者であった法学者の穂積陳重が出講していたので、彼から個人的に法律学の教授を受けていた。「ドロ亀」というあだ名を持ち、後に自ら無学であるかのように記している山下だが実際はこのようにして勉強にも精励したという一面もあった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「山下亀三郎」の詳細全文を読む




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