翻訳と辞書
Words near each other
・ 小泉内閣第2次改造内閣
・ 小泉内閣総理大臣談話
・ 小泉円花
・ 小泉再改造内閣
・ 小泉凡
・ 小泉劇場
・ 小泉勇人
・ 小泉勝
・ 小泉勲
・ 小泉千加子
小泉博
・ 小泉又次郎
・ 小泉友香
・ 小泉吉宏
・ 小泉吾郎
・ 小泉周
・ 小泉和久
・ 小泉和子
・ 小泉和裕
・ 小泉哲三


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

小泉博 : ウィキペディア日本語版
小泉博[こいずみ ひろし]

小泉 博(こいずみ ひろし、1926年8月12日 - 2015年5月31日俳優の小泉博さん死去 映画「サザエさん」でマスオ役 より〕)は日本の俳優司会者。本名は小泉 汪(読み同じ)。身長173cm、体重72kg血液型A型趣味ゴルフ
== 来歴 ==
神奈川県鎌倉市に政治家小泉策太郎の八男として生まれる。兄は日本画家小泉淳作インタビュー小泉淳作氏 より〕。
11歳で父と死別。慶應義塾高等学校を経て1943年慶應義塾大学経済学部に入学。1948年に卒業、NHK第20期アナウンサーとして入局。この進路選択については、「日本を農業と軽工業の国に変革させる、という当時のアメリカGHQの発表に対する不安感があった」とコメントしている〔『愛の戦士レインボーマン』DVDでのコメンタリより〕。
NHK入局後、大分放送局に配属される。1950年9月、休暇で上京した際に、軽い気持ちで藤本眞澄が代表を務める藤本プロの『えり子とともに』(公開は1951年)のフレッシュマン募集に応募し、三人の合格者の一人に選ばれる。これを受けNHKを退職し、同映画に出演する。その後、東宝に復帰した藤本真澄から誘われて、東宝ニューフェイス第3期生に応募し、合格。同期には山本廉岡田茉莉子がいた。1951年6月、東宝に入社して、翌1952年1月、『青春会議』で主演スターとして売り出す。
都会的な明るい持ち味の二枚目ぶりが人気を呼び、特に1956年から1960年にかけての江利チエミ主演の『サザエさん』シリーズでのマスオ役が有名である。また1955年の『ゴジラの逆襲』、1961年の『モスラ』をはじめ、初期の東宝特撮映画では共演した佐原健二平田昭彦土屋嘉男などと並び、欠かせない顔だった。1967年に出演した『日本のいちばん長い日』において、NHKアナウンサー時代の先輩である和田信賢役を演じたこともある。戦時中は飛行機乗りへの憧れが強く、『ゴジラの逆襲』で飛行士役を演じた際は夢が叶った思いだったという〔『モスラ』DVDコメンタリーより〕。
1961年以降は次第にテレビへと活躍の場を移し、1970年にはフジテレビクイズ・グランプリ』の司会を務めた。当時はアナウンサー経験者とあって、巧みな話術を生かした名司会で人気があった。
その後はレストラン「チェック」を経営し、1990年代の後半からはフランキー堺の後押しなどもあり、「日本俳優連合」で、俳優の契約改善要求の取り纏め役に従事。『徹子の部屋』で、「そっちが忙しすぎて、俳優の仕事があまりできないんですよ」とコメントしていた。
2003年の『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』で俳優業に復帰。『モスラ』(1961年)と同じ中條役としての登場で、久々のゴジラ映画出演となった。また同時期にもテレビ『超星神グランセイザー』に中条という名の役で出演した。
2015年5月31日午前2時20分、間質性肺炎のため死去。88歳没。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「小泉博」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.