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宮田亮平 : ミニ英和和英辞書
宮田亮平[みやた りょうへい]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm

宮田亮平 : ウィキペディア日本語版
宮田亮平[みやた りょうへい]
宮田 亮平(みやた りょうへい、1945年6月8日 - )は、日本の金属工芸家東京藝術大学学長
新潟県佐渡市出身。佐渡に伝わる金属工芸「蝋型鋳金」技術保持者の二代目宮田藍堂(みやた らんどう)を父に持つ。初代藍堂は祖父、三代目藍堂は長兄で元・東京藝術大学工芸科教授の宮田宏平(1926年 - 2007年)。金属工芸家の宮田琴は長女。金属工芸家の山下恒雄(やました つねお、元・東京藝術大学工芸科教授)の弟子。
東京芸術大学工芸科教授として鍛金技法研究の指導に当たる一方、金属工芸家としても世界的に活動し、日本のみならずドイツイスラエル韓国中国などで展覧会が催されている。
代表作にイルカをモチーフにした「シュプリンゲン(Springen)」シリーズがある。これは宮田が故郷の佐渡島から上京する際にフェリー船上から見たイルカの群れをモチーフとしたシリーズである。三越日本橋本店新館エンブレムとして採用されている〔日本橋三越の新館10月11日にオープン 中央区民新聞(電子版)、2004年9月13日〕。
== 来歴 ==

* 1964年(昭和39年)3月 - 新潟県立佐渡高等学校卒業
* 1970年(昭和45年)3月 - 東京藝術大学美術学部工芸科卒業
* 1972年(昭和47年)3月 - 東京藝術大学大学院美術研究科工芸鍛金専攻)修士課程修了
* 1973年(昭和48年)
 * 3月 - 東京藝術大学美術学部研究生卒業
 * 4月 - 東京藝術大学美術学部非常勤講師
* 1984年(昭和59年)4月 - 東京藝術大学美術学部工芸科鍛金研究室助手
* 1988年(昭和63年)4月 - 東京藝術大学美術学部工芸科鍛金研究室講師
* 1990年(平成2年)4月 - 東京藝術大学美術学部工芸科鍛金研究室助教授
 * 1990年(平成2年)〜1991年(平成3年) - 文部省在外研究員としてドイツに約1年派遣
:
* にて研修
* 1997年(平成9年)4月 - 東京藝術大学美術学部工芸科鍛金研究室教授
* 2001年(平成13年)4月 - 東京藝術大学美術学部長
* 2004年(平成16年)4月 - 東京藝術大学理事教育担当)・副学長(教育担当)
* 2005年(平成17年)12月 - 東京藝術大学学長就任
* 2010年(平成22年)4月 - 東京藝術大学学長に再任(二期目)〔国立大学法人学長(文部科学大臣任命 〕(任期は2010年(平成22年)4月1日から2016年(平成28年)3月31日)。
* 2015年(平成27年)12月 - 東京藝術大学学長に再任(三期目)〔東京藝術大学次期学長候補者の選考について 〕(任期は2016年(平成28年)4月1日から2022年(平成34年)3月31日)。
* 2016年(平成28年)2月 - 第22代文化庁長官に内定(任期は2016年(平成28年)4月1日から2018年(平成30年)3月31日)〔文化庁長官に宮田亮平氏 ,ロイター(電子版)〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「宮田亮平」の詳細全文を読む




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