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宮城事件 : ミニ英和和英辞書
宮城事件[きゅうじょうじけん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

宮城 : [みやぎ, きゅうじょう]
 【名詞】 1. Imperial Palace 
: [しろ]
 【名詞】 1. castle 
: [こと]
 【名詞】 1. thing 2. matter 3. fact 4. circumstances 5. business 6. reason 7. experience 
事件 : [じけん]
 【名詞】 1. event 2. affair 3. incident 4. case 5. plot 6. trouble 7. scandal 
: [くだん, けん]
 【名詞】 1. matter 2. case 3. item 

宮城事件 : ウィキペディア日本語版
宮城事件[きゅうじょうじけん]

宮城事件(きゅうじょうじけん)とは、1945年昭和20年)8月14日の深夜から15日日本時間)にかけて、一部の陸軍省勤務の将校近衛師団参謀が中心となって起こしたクーデター未遂事件である。
日本の降伏を阻止しようと企図した将校達は近衛第一師団長森赳中将を殺害、師団長命令を偽造し近衛歩兵第二連隊を用いて宮城(皇居)を占拠した。しかし陸軍首脳部及び東部軍管区の説得に失敗した彼らは自殺もしくは逮捕され、日本の降伏表明は当初の予定通り行われた。
== 背景 ==

=== ポツダム宣言の受諾決定 ===
太平洋戦争に於いて日本の敗色が濃くなっていた1945年(昭和20年)8月上旬、6日の広島への原爆投下、9日未明のソ連対日参戦、同日の長崎への原爆投下を受けて、政府内部では1945年7月26日イギリスアメリカ合衆国中華民国の連合国3国の首脳により発されたポツダム宣言の受諾による降伏を支持する意見が強まっていた。
9日に宮中において開かれた最高戦争指導会議では、鈴木貫太郎首相はじめ米内光政海軍大臣及び東郷茂徳外務大臣天皇の地位保証(国体護持)を条件として、阿南惟幾陸軍大臣及び梅津美治郎参謀総長はさらに幾つかの条件を付けた上での降伏を主張した。
午前10時から断続的に開催された会議が終了した後、鈴木首相は天皇臨席の御前会議として再度最高指導者会議を招集した。10日午前0時から宮城内御文庫〔1945年5月25日空襲によって宮殿が焼失した後に、天皇の住居は鉄筋コンクリート製の御文庫に移された。この付近の地下には地下壕も構築されており、終戦時の最高戦争指導会議および御前会議などはここで開催されている。〕地下の防空壕において開かれたこの御前会議の席上で、首相からの「聖断」要請を受けた昭和天皇は外務大臣の意見に賛成し、これによりポツダム宣言の受諾が決定された。
連合国軍への連絡は午前6時45分から中立国であるスイス及びスウェーデンの日本公使を通して行われている。スイスルートは、駐スイス加瀬俊一公使よりスイス外務次官へ手交、スウェーデンルートは駐スウェーデン岡本季正公使より、スウェーデン外務大臣へ手交された。この時に、東京とスイス・スウェーデンの間で交わされた一連の電報は、国立国会図書館の「ポツダム宣言受諾に関し瑞西、瑞典を介し連合国側に申し入れ関係」において閲覧することができる〔ポツダム宣言受諾に関する交渉記録 日本国憲法の誕生 資料と解説1-6 国立国会図書館〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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