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安東定季 : ミニ英和和英辞書
安東定季[あんどう さだすえ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ひがし]
 【名詞】 1. east 
: [き]
 【名詞】 1. season 2. season word or phrase (in haiku) 

安東定季 : ウィキペディア日本語版
安東定季[あんどう さだすえ]

安東 定季(あんどう さだすえ、生没年不詳)は、室町時代武将蝦夷地豪族下国山城守定季と称した。安藤康季の子で義季の弟とも伝えられ、いずれ檜山系安東氏の一門と推定されている。子に恒季がいる。
新羅之記録』によれば、安東氏宗家である下国家当主安東政季1456年康正2年)、分家で秋田郡の領主であった秋田城介安東尭季(惟季)の招きに応じ、秋田小鹿島(現秋田県男鹿市)に移る際に、茂別館主の安東家政下国守護)、大館館主の定季(松前守護)、花沢館館主の蠣崎季繁上国守護)の3名を「守護」に任じたとされているが、実態は安東家政或いは定季が一人守護として統括していたとする見解(入間田他 1999)も出されている。これらの館は、道南十二館と呼ばれた蝦夷地における和人地の中心の一つであった。
1457年長禄元年)5月、コシャマインの戦いにおいて、大館の出城の小館館主であった相原政胤とともにアイヌ側に捕らわれるが、翌月武田信広により救出された。
定季の死後恒季が大館館主となるが、粗暴で行状が極めて悪かったため配下の館主らにより宗家檜山安東忠季に訴えられた。恒季は1496年明応5年)11月、忠季の手勢により攻められ自害し、大館は政胤の子相原季胤に預けられた。
== 参考文献 ==

* 青森県市浦村編 『中世十三湊の世界』 新人物往来社、2004年、ISBN 4404032218
* 小口雅史編 『津軽安藤氏と北方世界』 河出書房新社、1995年、ISBN 4309222706
* 入間田宣夫他編 『北の内海世界』 山川出版社、1999年、ISBN 4634607506
* 小口雅史ほか 『新版県史 青森県の歴史』 山川出版社、2000年、ISBN 4634320207
* 海保嶺夫 『エゾの歴史』 講談社、1996年、ISBN 4062580691
* 国立歴史民俗博物館編 『中世都市十三湊と安藤氏』 新人物往来社、1994年、ISBN 4404021518
* 渋谷鉄五郎 『秋田「安東氏」研究ノート』 無明舎出版、1988年、ISBN 4895442039
* 田端宏桑原真人船津功関口明 『新版県史 北海道の歴史』 山川出版社、2000年、ISBN 463432010X
* 村井章介斉藤利男・小口雅史編 『北の環日本海世界』 山川出版社、2002年、ISBN 4634605309
* 森山嘉蔵 『安東氏 : 下国家四百年ものがたり』 無明舎出版、2006年、ISBN 4895444244



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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