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奈良敏博 : ミニ英和和英辞書
奈良敏博[ばく, ひろ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [りょう]
 【名詞】 1. good 
: [ばく, ひろ]
  1. (n,n-suf,vs) doctor 2. Ph.D. 3. exposition 4. fair 5. exhibition 6. commanding esteem 7. winning acclaim 8. gaining 9. receiving 10. command esteem 1 1. win acclaim 12. gain 13. receive

奈良敏博 ( リダイレクト:シーナ&ザ・ロケッツ ) : ウィキペディア日本語版
シーナ&ザ・ロケッツ[ばく, ひろ]

シーナ&ロケッツSHEENA & THE ROKKETS)は、日本ギターロックバンドである。
2013年で結成35周年を迎えるも、1978年結成当初よりバンド活動には一切のブランクがなく、日々積極的に全国各地でライブ・ツアーを行っている。日本国内では、トップクラスのロック・バンドとして今日に至っている。
シナロケと略されることもある〔2008年2月28日ナタリー -内田裕也、細野晴臣、高橋幸宏、チバがシナロケ30周年を祝福 〕。また、2013年より現在はシーナ&ロケッツと表記している。過去にはシーナ&ザ・ロケッツシーナ&ロケットなどと表記されることもあった。
== 略歴 ==
サンハウスのギタリスト鮎川誠が妻・シーナと共に福岡から上京し結成。1978年シングル『涙のハイウェイ』で、デビュー(当時の名義は「鮎川誠&シーナ・ロケット」「鮎川誠&ミラクルメン」)。
1979年、アルファレコードに移籍、イエロー・マジック・オーケストラメンバーの協力を得て、アルバム『真空パック』を発表。シングル「ユー・メイ・ドリーム」(作詞:柴山俊之、作曲:鮎川誠細野晴臣)が、JALの「マイ・ハート・キャンペーン」のCMに起用され、ブレイクを果たす。その後、アメリカのA&Mレコード、フランスのスカイドッグ・レコードなど海外でもアルバムを発売して世界的に名が知られることとなり、日本のロックシーンをリードしてきた。国内外を含めて、これまでに通算35枚のアルバム・16枚のシングルを発表している。
1984年ビクター・レコードに移籍。またビクター・SPEEDSTAR RECORDSには創設以来20年在籍している。
1988年にはニューヨークのCBGBでライブデビューを果たす。ジョン・レノンオノヨーコの専属写真家で知られるBOB GRUENの写真集には"日本の最高峰パンクバンド"として幾度も取り上げられる他、国内・海外の様々なアーティストとの交流も深い。
海外のアーティストからのラブコールも多く、2013年1月のウィルコ・ジョンソンとの東京セッションをはじめ、エルビス・コステロボ・ディドリーなどのツアーメンバーであるホーン・セクション/The Uptown Hornsらとライヴで共演・アルバムを共作している。
また、ジョンソン来日時には、1990年のジャパン・ツアー(全国6か所)、2000年2006年とシーナ&ロケッツと一緒に国内でライブを行う他、2009年、2013年と2度東京でセッション・ライブを開催している。1993年には「LONDON SESSION」というタイトルでウィルコ・ジョンソンバンドと誠とシーナとでロンドン・レコーディングにて2枚のアルバムを制作しているほか、ジョンソンとのプライベートでの交流も深いことがよく知られている。
シーナのコケティッシュでパワフルなボーカルとダイナミックなステージ、鮎川誠のマーシャル直結の1969年製ブラック・レスポール・サウンドは日本のロック・アイコンとして熱狂的な支持を得ている。彼らがデビューから一貫して提示してきたハッピーでスリリングなバイブスは老若男女を問わず世代を越えて広がっており、数々のイベントやロックフェスに出演している。2013年で結成35周年を迎えるも、結成時1978年より活動に一切のブランクがなく、現在も精力的にライブ活動を続けている。
代表曲は「レモンティー」「ユー・メイ・ドリーム」「ピンナップ・ベイビー・ブルース」「ハッピーハウス」「レイジー・クレイジー・ブルース」「ロックの好きなベイビー抱いて」「ビールスカプセル」「I'M FLASH(ほら吹きイナズマ)」など。
阿久悠が全曲作詞、誠が全曲作曲した異色の全面コラボレート作品1994年『ROCK ON BABY』は、ロンドンでレコーディングされ、21世紀に残したい新しいロックンロールとして幅広い層から支持を集めた。
また、1990年放送の学生援護会『サリダ』のテレビコマーシャルで「憲法第22条の歌」(職業選択の自由・アハハン)を歌ったことでも話題になった。
2012年に公開された映画『I' M FLASH!』は、豊田利晃監督が誠の作曲した「I' M FLASH」からインスパイアされて10年以上の構想を経て制作された。またI' M FLASH! BAND(Vocal:チバユウスケ、Drums:中村達也、Guitar:ヤマジカズヒデ、Bass:KenKen)による「I' M FLASH」の同曲カバーが映画のテーマソングとして使用されている。
2015年2月14日、シーナが子宮頸癌により61歳で死去した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「シーナ&ザ・ロケッツ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Sheena & The Rokkets 」があります。




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