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大雷童太郎 : ミニ英和和英辞書
大雷童太郎[だいらいどう たろう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かみなり]
 【名詞】 1. thunder 
: [わらべ]
 【名詞】 1. child 

大雷童太郎 : ウィキペディア日本語版
大雷童太郎[だいらいどう たろう]

大雷童 太郎(だいらいどう たろう、1980年4月17日 - )は、福岡県大野城市出身で高田川部屋所属の現役大相撲力士。本名は山口智史(やまぐち さとし)。大野城市立大野東中学校卒。身長177cm、体重153kg。得意技は、突き、押し。最高位は東十両2枚目(2006年1月場所)、血液型はA型。
== 来歴 ==
1996年3月場所初土俵。初めて番付に載った翌5月場所では、7戦全勝で序ノ口優勝を果たした。突き押し相撲で、幕下中位までは順調に番付を上げ周囲から期待されたが、立合いが遅く、引いて押し出させる相撲が多かったため幕下上位に上がっても大負けすることが多く、定着するまで時間が掛かった。2004年後半から幕下上位に定着し、2005年7月場所では4勝3敗と勝ち越し、4場所連続勝ち越しを決めた。西幕下4枚目ではあったが、十両下位で負け越した力士が多かったこともあり、翌9月場所に十両昇進を果たした。
2005年9月場所は序盤から好調で9勝6敗と勝ち越し、更に翌11月場所は西十両7枚目で終盤まで優勝争いを演じていたが、勝てば優勝決定戦進出の千秋楽に3敗で優勝争いトップの闘牙に敗れ、10勝5敗で惜しくも優勝を逃してしまったが、12月21日に発表された2006年1月場所番付では自己最高位の東十両2枚目に躍進した。しかし、新入幕が期待された1月場所では初日2連勝の後まさかの5連敗、その後3連勝するものの13日目の大真鶴戦で十両では初の負け越しが決定し、その後2連勝して7勝8敗と最低限の負けにとどめた。翌3月場所では6勝9敗と十両に昇進してから最低の成績で再び負け越し、5月場所も6勝5敗から4連敗し、7月場所も4勝11敗で負け越し、3場所連続の負け越しで9月場所では幕下に陥落してしまった。
その後は、なかなか十両に上がれず幕下での相撲が続いている。幕下上位で何度か再十両のチャンスがあったが、勝ち越せていない。30歳を目前にした時期には肉体の衰えから関取復帰を諦め、2年ほど意気消沈していた時期もあったが、大相撲八百長問題で2011年3月場所が中止になったことを機に鍛え直しを決意。2013年11月場所は東幕下11枚目の地位にあり、全勝して44場所ぶりの関取復帰という最長ブランク記録が達成されることを報道や師匠からも期待されていたがこの場所は4勝3敗にとどまった。〔33歳・大雷童44場所ぶり関取復帰だ Daily Sports Online 2013年11月5日 〕2014年には5月場所と11月場所においてそれぞれ幕下1桁台まで地位を戻していたが、いずれも1勝6敗と大敗している。
祖父は画家福富雷童。大雷童の幼稚園時代に死去しているが、大雷童は再十両を果たした際に福富の絵を化粧廻しのデザインに使用するつもりであるという。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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