翻訳と辞書
Words near each other
・ 大藤晋司
・ 大藤村
・ 大藤村 (山梨県)
・ 大藤村 (愛知県)
・ 大藤村 (静岡県)
・ 大藤栄永
・ 大藤桂子
・ 大藤直樹
・ 大藤真紀
・ 大藤真美
大藤秀信
・ 大藤谷川
・ 大藤賞
・ 大藤金石斎
・ 大藪大橋
・ 大藪小学校
・ 大藪拓
・ 大藪春彦
・ 大藪春彦賞
・ 大藪晴彦


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

大藤秀信 : ミニ英和和英辞書
大藤秀信[だいとう ひでのぶ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
: [まこと, しん]
  1. (adv,n) truth 2. faith 3. fidelity 4. sincerity 5. trust 6. confidence 7. reliance 8. devotion 

大藤秀信 : ウィキペディア日本語版
大藤秀信[だいとう ひでのぶ]
大藤 秀信(だいとう ひでのぶ、生年不詳 - 元亀3年(1572年))は、戦国時代武将北条氏康氏政の家臣で、相模国田原城主、相模国中郡郡代で諸足軽衆の足軽大将。大藤信基の子〔。通称・与七、式部少輔(式部丞)、法号は芳円〔。室は山角康定の娘〔。息子に北条氏政から1字を賜った政信(2代目)がいる〔が、秀信自身も氏政から1字を賜って同名の政信に改名している〔。そのため、息子と区別するために「初代政信」と呼ばれることがある。
父の信基の死去後の天文21年(1552年)に末子であったが、大藤氏の家督を継いだ〔。恐らく嫡子がいなかったためだと思われる。足軽衆を率いて各地を転戦し、特に永禄4年(1561年)に越後国の上杉謙信を撃退するのに大功を挙げた(大藤文書・北条氏政感状)〔。永禄11年(1567年)、武田信玄駿河侵攻を行うと、今川援兵として武田軍と対峙し、掛川城、のちに韮山城に篭って抗戦した〔。しかし元亀2年(1571年)に甲相同盟が成立したため、一転して武田信玄の遠江侵攻に協力し、二俣城攻めに加わるが、元亀3年(1572年)11月の落城直前に銃弾に当たって戦死、家督は嫡男の2代目政信が相続した〔。
== 脚注 ==





抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大藤秀信」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.