翻訳と辞書
Words near each other
・ 大仏切通
・ 大仏切通し
・ 大仏刑事
・ 大仏前小学校
・ 大仏城
・ 大仏城跡出土宝塔
・ 大仏宗宣
・ 大仏宣時
・ 大仏寺
・ 大仏師法師定慶
大仏朝直
・ 大仏様
・ 大仏橋
・ 大仏次郎
・ 大仏次郎論壇賞
・ 大仏次郎賞
・ 大仏殿
・ 大仏氏
・ 大仏流北条氏
・ 大仏町


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

大仏朝直 : ミニ英和和英辞書
大仏朝直[だいぶつ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

大仏 : [だいぶつ]
 【名詞】 1. large statue of Buddha 
: [ほとけ]
 【名詞】 1. Buddha 2. merciful person 3. Buddhist image 4. the dead 
: [あさ, ちょう]
 (n-adv,n-t) morning
: [ひた, ちょく]
 【名詞】 1. earnestly 2. immediately 3. exactly

大仏朝直 ( リダイレクト:北条朝直 ) : ウィキペディア日本語版
北条朝直[ほうじょう ともなお]

北条 朝直(ほうじょう ともなお)は鎌倉時代前期から中期の武将。北条氏の一門。鎌倉幕府評定衆。父は初代連署北条時房。母は正室の足立遠元の娘。大仏流北条氏の祖。
== 生涯 ==
時房の四男であったが長兄時盛佐介流北条氏を創設し、次兄時村と三兄資時は突然出家したため、時房の嫡男に位置づけられて次々と出世する。
正室は伊賀光宗の娘だったが、貞応3年(1224年)6月の伊賀氏の変で光宗が流罪となり、嘉禄2年(1226年)2月、執権北条泰時の娘を新たに室に迎えるよう父母から度々勧められるが、21歳で無位無官の朝直は愛妻との離別を拒み、泰時の娘との結婚を固辞し続けた(『明月記』2月22日条)。翌月になっても、朝直はなおも執権泰時、連署である父時房の意向に逆らい続け、本妻との離別を哀しむあまり出家の支度まで始めるという騒動になっている。その後も抵抗を続けたと見られるが、5年後の寛喜3年(1231年)4月、朝直の正室である泰時の娘が男子を出産した事が『吾妻鏡』に記されている事から、最終的に朝直は泰時と時房の圧力に屈したと見られる。なお、この都の公家にまで届いた北条一族の婚姻騒ぎは幕府編纂書の『吾妻鏡』には記されていない。
北条泰時から北条政村までの歴代執権に長老格として補佐し続けたが寄合衆にはついに任じられなかった。
文永元年(1264年5月3日、59歳で死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「北条朝直」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.