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坊ちゃん列車 : ミニ英和和英辞書
坊ちゃん列車[ぼっちゃん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

坊ちゃん : [ぼっちゃん]
 【名詞】 1. son (of others) 
: [れつ]
 【名詞】 1. queue 2. line 3. row 
列車 : [れっしゃ]
 【名詞】 1. train (ordinary) 
: [くるま]
 【名詞】 1. car 2. vehicle 3. wheel 

坊ちゃん列車 ( リダイレクト:坊っちゃん列車 ) : ウィキペディア日本語版
坊っちゃん列車[ぼっちゃんれっしゃ]

坊っちゃん列車(ぼっちゃんれっしゃ)とは、非電化軽便鉄道時代の伊予鉄道に在籍した蒸気機関車 (SL) および、そのSLが牽引していた列車のこと。
夏目漱石の小説『坊つちやん』の中で、軽便鉄道時代の伊予鉄道が「マッチ箱のような汽車」として登場しており、四国松山中学校に赴任する主人公の坊っちゃんがこれに乗ったことから、坊っちゃん列車と呼ばれるようになった。
2001年より、伊予鉄道により松山市内の軌道で復元運行(ただし動力はディーゼル機関)されており、以後はこちらの方を指すことが一般的である。
== 初代坊っちゃん列車 ==


1888年10月28日に伊予鉄道が松山(現在の松山市) - 三津間を762mm軌間で開業した際に、ドイツミュンヘンクラウス社製B形蒸気機関車(甲1形)2両で運行を開始した。牽引される客貨車も鉄道開業に伴う資材調達全般を請け負った刺賀商会の手配でドイツから輸入されたが、これらはあまりの小型さ故にそのまま木箱に詰めて納品されてきたという逸話が残る。
その後、路線開業で順次機関車・客貨車共に増備が進み、また1900年の南予鉄道道後鉄道の合併もあって車両数は激増した。
1907年の時点での機関車各形式とその概要は以下の通り。
*甲1形1 - 4
 *7.8t(改軌後8.5t) B型ウェルタンク機。1888年(Nos.1・2)および1891年(Nos.3・4)、クラウス社製。
*甲2形5・6
 *1896年、クラウス社製。
*甲3形7・8
 *9t(改軌後9.8t) B型ウェルタンク機1895年、クラウス社製。元道後鉄道1・2。
*甲4形9・10
 *7t B型サイドタンク機。1896年、イギリス・フレッチャー・ジェニングス社(:en:Fletcher, Jennings & Co.)製。元南予鉄道1・2。
*甲5形11 - 14
 *9t(改軌後9.8t) B型ウェルタンク機。1901年(Nos.11・12)および1907年(Nos.13・14)、クラウス社製。
以上からも明らかな通り南予鉄道からの編入車である甲4形をのぞき全車クラウス社製の同系機で揃っていた。
このため、異端車である甲4形は稼働率が低かったことが伝えられており、1911年の車庫火災の際には車庫の奥に置かれていたことから車庫内からの移動も行えないまま焼失、その後も修理されずに放置されていた。
この2両の補充としては、新造車ではなく中古車の導入が図られた。同時期に近隣の別子鉱山鉄道で余剰を来していた、1形5 - 7が1912年6月に譲受されて甲6形15 - 17となったのである。これらも1894年(Nos.15・16)および1896年(No.17)、クラウス社製の甲1形同系機〔ただし、クラウス社の設計系列を示す図面番号(Zeichnungsnummer)は伊豫鉄道および道後鉄道向けの4に対して別子のものは27で、伝熱面積をはじめとするボイラーの設計や使用圧力、シリンダー寸法、それにブレーキ(別子のものは反圧ブレーキを使用した)などが相違し、基本構造は共通するものの異質な設計となっていた。〕である。
もっともこれら3両は状態が悪かったとされ、1917年には置き換え対象であったはずの甲4形2両と共に全車除籍され、スクラップとして売却されている〔なお、この際甲4形9が売却・修理されて浜松鉄道4となり、甲6形のいずれか、あるいはこれら3両の状態良好部分を組み合わせた1両が、大阪の楠木製作所1919年に再製され、佐世保軽便鉄道No.3→国鉄ケ96形ケ96となったと推定されている。〕。
また、この火災の際には客貨車も大きな被害を受けており、伊予鉄道ではハ31形を自社工場で製造するなどして焼失車の補充を行っている。
この後1931年に高浜線の改軌・電化が実施されたが、その際にも貨物列車牽引は蒸気機関車のままで残されたことなどから全線改軌となり、客貨車を含めて順次改軌工事が実施されたが、機関車についてはこの時点では増備も廃車も特に行われないまま推移した。ただしこの頃には道後鉄道編入車である甲3形の不調が目立つようになり、1940年頃にNo.8が状態不良で除籍され、残るNo.7も戦後早い時期に除籍されている。
戦後は混乱期の車両不足から、八幡製鐵所構内専用鉄道より1910年コッペル社製のNo.156を1946年に譲受し2代目甲6形15としたが、これは燃料の入手難等で郡中線が電化されたことで余剰となり、1952年に廃車されたため短期間の使用に終わった。
こうして紆余曲折を経て運行されてきた伊予鉄道の蒸気機関車群であるが、1953年にNo.6の部品流用でDB-1形DB-1を試作、さらに新造でDB-2 - 8が投入されたことでその役割を終え、1954年に運行を終了した。
このように、結果的には伊予鉄道自社プロパーの甲1・2・5形が最後まで残存し、他社編入車や中古車は早期に淘汰された状態でディーゼル化の日を迎えたことになる。
一方、客車についてはその後も2軸車2両を接合して1両としたハ500形などが非電化の横河原・森松線用として残存したが、これも1965年の森松線廃止と1966年の横河原線全線電化完成で役割を終え、また貨車も1956年の貨物輸送廃止を経て1960年に全車廃車となっており、ここに1888年以来78年に渡った「坊っちゃん列車」の系譜は一旦幕を閉じることとなった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「坊っちゃん列車」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Botchan Ressha 」があります。




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