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含歓堂沾徳 : ミニ英和和英辞書
含歓堂沾徳[とく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [どう]
  1. (n,n-suf,n-pref) (1) temple 2. shrine 3. hall 4. (2) prefix to building meaning "magnificent" 

含歓堂沾徳 ( リダイレクト:水間沾徳 ) : ウィキペディア日本語版
水間沾徳[みずま せんとく]
水間 沾徳(みずま せんとく、寛文2年(1662年) - 享保11年5月30日1726年6月29日))は江戸時代初期、松尾芭蕉宝井其角と同時代の俳人である。芭蕉および宝井其角の没後、享保期の江戸俳壇の中心となった。
江戸に生まれる。姓は門田、のち水間、名は友兼。通称治朗左衛門。16歳で福田露言(保守派の岸本調和の門の門人で調也とも)に入門、露言に伴われて、奥州磐城平藩主・内藤義概(俳号風虎)の江戸藩邸の句会に参加し、内藤風虎の嗣子・義英(俳号露沾)の知遇を得て、沾葉と名乗った。風虎の句会は芭蕉を世にだす契機となったとされている。沾徳は磐城平藩の扶持を受け、諏訪闡幽大村蘭台など大名俳人と交わった。貞享2年(1685年)、23歳の時、風虎が没し、露沾が廃嫡となると内藤家を致仕し、貞享4年(1687年)、名を沾徳と改め、立机した(俳句宗匠となった)。芭蕉と親交を持ち、元禄7年(1694年)、沾徳が33歳の時、芭蕉が没すると、宝井其角とともに江戸俳諧の中心となった。宝永4年(1707年)、沾徳が46歳の時、其角が没す。其角没後は江戸俳壇の諸派を集めて大宗匠と仰がれるに至った。
==代表句==
::折て後貰ふ聲あり垣の梅
::帯程に川も流れて汐干かな
::岩を飛ぶ美人は愛宕杜宇
::そら言のそらの海道したすゞみ
::低きかたへ水のあわつや初あらし
:::日本古典文学全集「近世俳句俳文集」記載の句

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「水間沾徳」の詳細全文を読む




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