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吉田金太郎 : ミニ英和和英辞書
吉田金太郎[よしだ きんたろう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [きん]
  1. (n,n-suf) (1) gold 2. (2) gold general (shogi) (abbr) 

吉田金太郎 : ウィキペディア日本語版
吉田金太郎[よしだ きんたろう]

吉田 金太郎(よしだ きんたろう、1950年 - 1985年9月4日?)はよど号グループのメンバー。
==経歴==
京都市立堀川高等学校卒業。高校時代、まだ創刊したばかりの「新左翼」紙(現在の「人民新聞」)の事務所によく制帽・制服姿で訪れ、手伝いをしていたという〔[コラム] 渡辺雄三自伝第15回 人民新聞 2004年7月25日〕。高校卒業後、日立造船で工員として働くが、組合活動へ傾倒し、ブント系反戦青年委員会に参加。1970年に20歳時に仲間8人とともによど号ハイジャック事件を起こし、北朝鮮亡命学生運動がきっかけで参加した者が多いよど号メンバーの中では唯一の労働者出身である。
1985年8月末、吉田の実家に吉田が難病のため面会に平壌までこられないかというよど号グループからの手紙が届く。9月4日、平壌市内の病院で急性肝萎縮症のため亡くなり、翌5日によど号メンバーにより葬儀が営まれた。吉田の遺族は10月に北京から平壌入りをする。平壌でよど号メンバーから木箱に入った吉田の遺骨と死亡診断書を受け取る。
4歳年下の柴田泰弘を含めた他のメンバーが1977年までに結婚している中で吉田だけ結婚が確認されていないこと、また吉田の祖父が富裕商人だったことが北朝鮮から出身を問題視される可能性があったとして、1977年以前に強制収容所に送られて死亡したとする見方がある。死亡後、他のよど号メンバーは吉田を完全にタブー視し、存在がなかったことにしている。少なくとも1977年から北朝鮮に滞在し1985年の死まで吉田の存在を知っているはずのよど号犯人の妻たちは吉田について一切知らないと語っている。
1976年11月に小田実が北朝鮮で田宮高麿を除くよど号メンバーと会っており、吉田も出席したことになっている。しかし、吉田の写真が撮られておらず、存在は完全には確認できていない。最後に確認されている吉田の写真は1973年のものである。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「吉田金太郎」の詳細全文を読む




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