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右田一彦 : ミニ英和和英辞書
右田一彦[みぎた かずひこ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [みぎ]
 【名詞】 1. (1) right hand side 2. (2) above 3. afore-mentioned 4. foregoing 5. forgoing 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [いち]
  1. (num) one 

右田一彦 : ウィキペディア日本語版
右田一彦[みぎた かずひこ]

右田 一彦(みぎた かずひこ、1960年6月3日 - )は熊本県出身の元プロ野球選手(投手)。横浜大洋ホエールズロッテオリオンズでプレーした。実弟に元プロ野球選手で南海ホークス阪神タイガース外野手としてプレーした右田雅彦がいる。
==来歴・人物==
九州学院高等学校では、1978年夏の甲子園県予選で準決勝に進出するが鎮西高に敗退。卒業後は電電九州に入社。1980年1981年都市対抗野球大会に連続出場。
1981年のドラフト1位で阪神と大洋に重複指名され、抽選の結果大洋に入団。快速球を武器に、1軍の即戦力投手として期待されたものの、1年目は2軍で14勝を挙げイースタン・リーグでの優勝に貢献するという働きに終わった。2年目の1983年巨人との開幕2戦目で1軍初先発を果たすも、この試合で同年1軍デビューの駒田徳広に初打席満塁本塁打を浴びる(この事を発端として、その後駒田は満塁の打席に運気が良く、好成績を残すことから「満塁男」の異名を残す)。この年は1軍で13試合に登板するも、速球中心の単調な投球は1軍では通用せず、防御率は8.80と惨憺たる結果に終わり、1983年11月に竹之内徹と共に新谷嘉孝欠端光則との2対2の交換トレードでロッテオリオンズに移籍した。
ロッテでは当時監督だった稲尾和久からスローカーブを伝授され、投球に緩急が付けられるようになった。移籍初年度のプロ3年目の1984年にプロ初勝利をあげ、6勝5敗の成績を残した。しかし、それ以降は勝ち星も防御率も低迷し、1989年限りで引退した。
ビートたけしと風貌が似ており、ニックネームは「タケちゃんマン」。1982年のファン感謝デーのアトラクションにおいて、たけし軍団チームと草野球で対戦したことがある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「右田一彦」の詳細全文を読む




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