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古賀一隆 : ミニ英和和英辞書
古賀一隆[こが かずたか]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふる]
 【名詞】 1. used 2. secondhand
: [いち]
  1. (num) one 

古賀一隆 : ウィキペディア日本語版
古賀一隆[こが かずたか]

古賀 一隆(こが かずたか、1935年8月30日 - 2011年12月8日)は、日本の元調教師JRA美浦トレーニングセンター)、元騎手
== 人物 ==
福岡県出身(出生地は東京都)。
1953年中山古賀嘉蔵厩舎所属の騎手見習いとなり、1956年に同厩舎より騎手デビュー。 4月21日の初騎乗のレースはホウジヨウに騎乗して7着だった。初騎乗からちょうど1年後となる1957年4月21日にイワフネで初勝利を挙げる。
1960年6月26日中山大障害(春)をロールメリーで制し重賞初勝利を挙げると、その年の秋、10月9日にはロールメリーとのコンビで中山大障害(秋)を制し、春・秋の大障害制覇を果たす。
1963年12月15日、第15回朝日杯三歳ステークスウメノチカラで優勝。だが、ウメノチカラは4歳以降、伊藤竹男に乗り替わられてしまい、翌年(1964年)のクラシック戦線を共に戦うことは出来なかった。
1965年西塚十勝厩舎(中山)、1968年には谷栄次郎厩舎(中京)、1971年には宮沢今朝太郎厩舎(中山)と、所属厩舎が変遷する。
1976年に騎手を引退し、宮沢今朝太郎厩舎の調教助手となったのち、1978年に調教師免許を取得、翌年の1979年に厩舎を開業し、5月3日東京競馬場での第8レースにアローグレースを厩舎所属馬として初出走させ4着となる。調教師としての初勝利は1980年2月10日、東京競馬場第2競走のコガイチヒメで、これがのべ54頭目であった。
1981年7月26日、札幌競馬場での北海道3歳ステークスにコウチオウショウ(津留千彰騎乗)が1着となり、初重賞制覇を果たす。
2006年2月28日付けにて定年により調教師を引退、これに先立つ2月26日に中山競馬場で行われた引退式に参加した。
2011年12月8日、病気により死去〔元JRA調教師の古賀一隆氏死去 通算265勝 スポーツニッポン 2011年12月9日閲覧〕。。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「古賀一隆」の詳細全文を読む




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