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古代マケドニア : ミニ英和和英辞書
古代マケドニア[こだい]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふる]
 【名詞】 1. used 2. secondhand
古代 : [こだい]
  1. (adj-na,n-adv,n-t) ancient times 
: [よ, しろ]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 

古代マケドニア ( リダイレクト:マケドニア王国 ) : ウィキペディア日本語版
マケドニア王国[まけどにあおうこく]

マケドニア王国()は、紀元前7世紀古代ギリシア人によって建国された歴史上の国家である。現在のギリシャ共和国西マケドニア地方中央マケドニア地方の全域と、マケドニア共和国南東部ドイランボグダンツィゲヴゲリヤ及び南西部レセンオフリド各基礎自治体の一部、ブルガリアブラゴエヴグラト州のギリシャとの国境地帯、アルバニアポグラデツ県コルチャ県デヴォル県の一部にまたがる地域にあった。北西ギリシア方言群のひとつであるマケドニア方言を話した。
== 歴史 ==

=== 成立からコリントス同盟まで ===
紀元前7世紀頃、ドリス系のギリシア人により建国された。マケドニアは都市国家を形成せず、王政で一夫多妻制を取るなど、古代ギリシアの他の地域とは違う制度を有していたため、ギリシア諸ポリスからは異民族と思われることもあった。しかし、言語と宗教は諸ポリスと同一であり、ペルシア戦争以前にアレクサンドロス1世古代オリンピックに参加するなど、マケドニア王家は古くからヘーラクレースの血を引くギリシア人と認められていた。
ギリシアとアケメネス朝(ペルシア)の中間に位置したマケドニアは、自らがギリシア人であることを自覚していたが、ペルシア戦争ではアレクサンドロス1世の指導のもと、ペルシア側についた。しかし、ペルシア戦争中も親ギリシア的な姿勢を崩さなかった。戦後、ギリシア地域へのペルシアの影響力が後退すると、親ギリシア的政策をますます推し進め、同盟を結んだり、人質を有力国へ送ったりして、友好を図った。
アレクサンドロス1世の子に当たるペルディッカス2世の時にペロポネソス戦争が起きたが、マケドニアはこれに参戦せず、領土を拡張しつつ、国内を整備して国力の向上に努めた。またそれまでアイガイ(現ヴェルギナ)にあった都を、やや北方のペラに移した。ペルディッカスの子は積極的にギリシア文化の受容を図ったが、これは文学などの受容にとどまり、社会体制の変革を伴うものとはならなかった。
紀元前399年、アルケラオスは暗殺された。この後、王位継承争いが起きるとともに、イリュリアからの攻撃をたびたび受け、国内は長く安定しなかった。紀元前359年ピリッポス2世が兄ペルディッカス3世の戦死を受け、兄の遺児アミュンタス4世の摂政となり、間を置かずして甥を退けマケドニア王に即位した。当時の強国の一つだったテーバイに3年の間人質として滞在し、その政治や軍事を学んだピリッポス2世は、ギリシア先進文化を積極的に取り入れ、国政の改革や国力の増強に努めた。そして紀元前338年カイロネイアの戦いでアテナイ・テーバイ連合軍に勝利し、翌紀元前337年にはスパルタを除く全ギリシアを統一するコリントス同盟を結成し、その盟主となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Macedonia (ancient kingdom) 」があります。




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