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南北戦争の原因 : ミニ英和和英辞書
南北戦争の原因[なんぼくせんそうのげんいん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [みなみ]
  1. (n,vs) South 2. proceeding south 
南北 : [なんぼく]
 【名詞】 1. south and north 
南北戦争 : [なんぼくせんそう]
 (n) (U.S.) Civil War
: [きた, ほく]
 (n) north
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦争 : [せんそう]
  1. (n,vs) war 
: [はら, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation
原因 : [げんいん]
  1. (n,vs) cause 2. origin 3. source 
: [いん]
 【名詞】 1. cause 2. factor 

南北戦争の原因 : ウィキペディア日本語版
南北戦争の原因[なんぼくせんそうのげんいん]

南北戦争の原因(なんぼくせんそうのげんいん、英:Origins of the American Civil War)では、アメリカ合衆国のアンテベラム時代(南北戦争に至る時代〔アンテベラム Antebellum はラテン語で戦争の前という意味。アメリカ合衆国では特に南北戦争の前の時代に用いられる。〕)における奴隷制の複雑な問題、連邦主義に関わる矛盾する理解、政党政治、拡張主義、党派抗争、経済および近代化について詳述する。
== 概要 ==
米墨戦争の後、合衆国のまだ州に昇格していない領土・準州における奴隷制問題は1850年の妥協を生み出した。この妥協により、当面の政治的な危機は避けられたが、奴隷勢力〔連邦政府を支配しようという奴隷所有者の力〕の問題を根本的に解決するものでは無かった。多くの北部人の中でも共和党の指導者は奴隷制を国の巨悪と考え、少数の南部大規模プランテーション所有者がその悪を拡げる目的で国の政治を牛耳っていると見なした。南部の者から見ると、北部は人口が増え、工業製品の生産高が急速に伸びているので、南部の相対的政治力が減退することを恐れていた。北部と南部は違う道を歩んでいたので、以前にワシントン大統領が辞任演説で警告していたように、各地域内では共有されているとしても、2つにはっきり分かれた地域がそれぞれ別の考え方を持つようになっていった。経済は北部が自由労働によって成り立っていたのに対し、南部では奴隷の労働に頼っていた。合衆国はメイソン・ディクソン線〔メイソン・ディクソン線は、18世紀中頃に植民地同士の境界紛争解決のためにメイソンとディクソンによって測量された時に引かれた線。1820年ミズーリ妥協の頃から北部と南部の仮想境界を指して言われるようになった。〕によって明確に2つの地域に分かれた国であった。ニューイングランド、北東部、および中西部の経済は、家族によって運営される農園、製造業、鉱業、商業および運送業を基盤に急速に成長し、境界州以外では奴隷が居なくても人口がやはり急拡大していた。この人口拡大には高い出生率とヨーロッパからの移民が寄与していた。特にアイルランド人、イギリス人ドイツ人、ポーランド人および北欧人の移民が多かった。南部は奴隷によって開拓されたプランテーションが支配的であり、急速な成長と言えばテキサス州のような南西部でおこっていた。ここの人口拡大はやはり高い出生率だったが、移民の数はそれ程多くは無かった。全体的にみれば、北部の人口拡大速度が南部を上回り、これが南部の考える連邦政府を抑え続けたいという願望を難しいものにしていた。南部は境界州を除いて都市や町がほとんどなく、製造業も無いに等しかった。奴隷所有者は政治や経済を引っ張っていたが、南部白人の3分の2は奴隷を所有せず、大抵は生活のための農業に留まっていた。政治的にそのような奴隷の非所有者が奴隷制のために戦うプランテーション所有者を支持するかというのが問題であった。
奴隷制は国のために望ましくないという議論が長く続いていた。北部諸州は1776年以降に奴隷制を廃止していた。国の団結を維持するために、政治家は奴隷制に反対するときも中庸的な姿勢となり、結果として1820年のミズーリ妥協1850年の妥協という多くの妥協を生んだ。1840年以降、奴隷制度廃止論者達が奴隷制を社会悪以上のもの、道徳的誤りと非難した。1858年のリンカーンの演説では、「ばらばらになった家庭は立ち行かない」〔聖書:マルコ伝3-25の引用である。A house divided against itself cannot stand.[http://www.nationalcenter.org/HouseDivided.html〕と述べて、連合国家としての合衆国はすべて奴隷州になるか、あるいはすべて自由州になるかを選択すべきとした。国の政治でも悪意と敵意に満ちた党派的理論闘争が増加する中で、1850年代には古い政党政治が崩壊し、政治家達がさらに次の妥協に辿り着くのを妨げることになった。1854年にできたカンザス・ネブラスカ法は多くの北部人を激怒させた。1850年代は、南部に何もアピールしない最初の政党である共和党が勃興し、工業化された北部と農業の中西部が自由労働産業資本主義の経済理念に関わるようになってきた。1860年、リンカーンが大統領に選ばれ、リンカーン自身は奴隷を所有する家庭の娘と結婚していたが、奴隷所有者はリンカーンや連邦政府との関係を維持できなくなり、遂には合衆国から南部の脱退ということになった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「南北戦争の原因」の詳細全文を読む




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