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千葉作龍 : ミニ英和和英辞書
千葉作龍[ちば さくりゅう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [せん ち, ち]
 【名詞】 1. thousand 2. many
: [よう, は]
 【名詞】 1. leaf 
: [さく]
  1. (n,n-suf) a work 2. a harvest 
: [りゅう]
  1. (oK) (n) (1) dragon 2. (2) promoted rook (shogi)

千葉作龍 : ウィキペディア日本語版
千葉作龍[ちば さくりゅう]

千葉 作龍(ちば さくりゅう、1947年1月25日-)は青森ねぶたのねぶた制作者(ねぶた師)。第5代ねぶた名人。本名は千葉 伸二(ちば しんじ)。現役ねぶた師の中では最高齢であり、40年以上のキャリアを誇る。
==来歴==
昭和22年に千葉作太郎〔終戦後、看板店を興し家業としていたが、画家、そしてねぶた師としても名が知られていた。〕の息子として生まれる。10歳のころから作太郎のねぶた制作を手伝い始め、昭和34年に12歳で作太郎の助手となる〔本人はRABの取材に対し「12歳で弟子入りした」と証言している〕。青森県立青森高等学校を卒業してからも、看板屋とねぶた師を目指していたが、昭和41年作太郎がを患って倒れ、57歳の若さで亡くなる。翌年20歳で手探りの状態ながらも大型ねぶたを作り上げ、一本立ちする。伸二は北川啓三等当時活躍していたねぶた氏からも技術を吸収していった。
昭和48年に26歳で初の最高賞・田村麿賞を受賞、さらに50年、51年と2年連続で同賞を受賞し、「若手のホープ」として注目を浴びた〔26歳は田村麿賞最年少記録であり、29歳での連覇達成もまた最年少記録である。田村麿賞がねぶた大賞と名を改めて以降も20台で受賞したのは2014年の時点で伸二1人である。〕。中でも佐藤伝蔵が一目置き、「千葉、おめ新幹線で来だな、だばわはジェット機で行ぐだ。」と明らかに伸二の活躍を意識した発言を残している。昭和52年には制作者名を作龍と改め、独立して営んでいた看板業を廃業しねぶた一本の道を選ぶ。だがその直後から心臓神経症を患い、ねぶた制作においても数年間スランプ状態に陥る。しかし昭和57年に制作賞を受賞したのをきっかけに、スランプから脱し復活を遂げ、翌年から3年連続で知事賞を受賞する快進撃をみせた。〔この間佐藤伝蔵が4年連続田村麿賞という史上唯一の偉業を成し遂げている。〕昭和61年に佐藤伝蔵の連続受賞を止める田村麿賞を獲得〔佐藤伝蔵はこの年のねぶたを制作中に胃癌で倒れ、ねぶた祭りが終わった翌日に亡くなっている。〕、その後も数多くの賞を受賞している。
佐藤伝蔵・鹿内一生亡き後は、ねぶた師のリーダー的役割を担い、他のねぶた師のサポートや後進の育成を積極的に行っている。平成9年に通算8度目のねぶた大賞(旧 田村麿賞)を受賞、佐藤伝蔵の持つ最多記録に並び、北村隆(後の6代名人)により抜かれるまで首位タイ記録保持者となる。
平成24年に第5代ねぶた名人に認定される〔千葉さん、北村さんがねぶた師名人位に認定 陸奥新報 2012年7月27日〕。そして前年に続くねぶた大賞を獲得し名人位に花を添えた〔名人位を保有して田村麿賞もしくはねぶた大賞を獲得した例は過去に存在せず、作龍が史上初となる。〕。2014年時点で田村麿賞・ねぶた大賞受賞回数は11回であり、北村隆の12回に次ぐ史上2位である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「千葉作龍」の詳細全文を読む




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