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千葉中央バス : ミニ英和和英辞書
千葉中央バス[ちばちゅうおうばす]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [せん ち, ち]
 【名詞】 1. thousand 2. many
: [よう, は]
 【名詞】 1. leaf 
: [なか]
 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among 
中央 : [ちゅうおう]
 【名詞】 1. centre 2. central 3. center 4. middle 

千葉中央バス : ウィキペディア日本語版
千葉中央バス[ちばちゅうおうばす]

千葉中央バス株式会社(ちばちゅうおうバス)は、千葉市緑区に本社を置く京成グループのバス事業者である。略称は「中央バス」「千葉中央」。一般乗合・一般貸切のバス事業、および広告業等の付帯事業を営み、乗合バスの営業エリアは千葉市から大網までのJR外房線沿線に広がっている。千葉市や市原市北部の郊外住宅路線を主力とし、JR外房線と並行する大網街道にも多数の路線を走らせている。
1990年代末以降、羽田空港房総半島方面に向かう高速バス路線にも力を入れている。
== 沿革 ==

=== 木嶋義夫と千葉郊外自動車 ===
千葉中央バスの前身は、千葉県議会議員(のち参議院議員)・木島義夫らによって設立された千葉郊外自動車という会社である。路線の歴史は、木嶋個人が大正時代末期から誉田を起点に、南の瀬又(現在の市原市)方面と西の野田(千葉市緑区誉田町一丁目の野田十文字付近)に向けて運行していた2つの路線に始まる。
木嶋はその後、積極的に路線の拡張を進め、昭和初期に誉田 - 野田線を鎌取へと延長したのち、1934年本千葉駅(現在の千葉中央駅のところ)への乗り入れを開始する。これには、路線の重複する千葉市街自動車(京成バス千葉市街路線の前身)から大きな反発があったが、それを押し切っての延長であった。一方、瀬又側は、木嶋の郷里である国府里(現在の長柄町)を経て茂原方面に伸びていくこととなり、1935年に本千葉 - 誉田 - 東国吉 - 茂原という直通運転が開始された。これとともに同年、木嶋らによって千葉郊外自動車が設立され、以後同社の経営となった。千葉郊外自動車はこのほかにも、1939年の時点で潤井戸周辺、土気 - 大網間でも運行していたことが「千葉県史」に記されている。
1944年には、戦時下の交通統制の流れの中で、小湊鐵道バス部の前身である袖ヶ浦自動車に統合されることとなっていたが、直前に回避され、独立経営が維持された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「千葉中央バス」の詳細全文を読む




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