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千早城の戦い : ミニ英和和英辞書
千早城の戦い[ちはやじょうのたたかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [せん ち, ち]
 【名詞】 1. thousand 2. many
: [はや]
 【名詞】 1. already 2. now 3. by this time 
: [しろ]
 【名詞】 1. castle 
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦い : [たたかい]
 【名詞】 1. battle 2. fight 3. struggle 4. conflict 

千早城の戦い : ウィキペディア日本語版
千早城の戦い[ちはやじょうのたたかい]

千早城の戦いちはやじょうのたたかい)は、1332年(元弘2年、正慶元年)、後醍醐天皇倒幕運動に呼応した河内の武将である楠木正成と、鎌倉幕府軍との間で起こった包囲戦千早城上赤坂城下赤坂城と並び、現在の大阪府千早赤阪村に位置する山城
== 概要 ==

1331年(元弘元年、元徳3年)に倒幕計画が発覚すると、後醍醐天皇は笠置山に挙兵し、楠木正成は河内赤坂において呼応した(元弘の乱)。鎌倉幕府は討伐軍を派遣して鎮圧し、後醍醐天皇を隠岐島で流し、関係者も処罰されたが、正成は翌年にも千早城に拠り抵抗を続けた。
幕府方は、上下赤坂城を落とした後、楠木正成の1,000人の兵が守る千早城を大軍で包囲した。古典『太平記』は幕府方の兵力を「100万」と記している。わずか1,000人の兵でも正成が抵抗を続けられたのは、石や丸太を崖から落としたり、鎌倉側の兵に油をかけ火を放った、などの奇策を使ったからだといわれる。また、この情勢を見た地元の土豪などが、正成の軍に味方し、幕府軍を挟み撃ちするような状態になったからでもあるという。
幕府は有力御家人足利尊氏新田義貞の離反を契機に滅亡し、楠木氏は後醍醐天皇が開始した建武の新政においても重用された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「千早城の戦い」の詳細全文を読む




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