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勝鬘師子吼一乗大方便方広経 : ミニ英和和英辞書
勝鬘師子吼一乗大方便方広経[けい, たていと]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かつら]
 【名詞】 1. hairpiece 2. wig 
: [し]
 【名詞】 1. (1) teacher 2. master 3. one's mentor 4. (2) the Reverend
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)
: [いち]
  1. (num) one 
大方 : [おおかた]
  1. (n-adv,n) perhaps 2. almost all 3. majority 
: [ほう]
  1. (n-adv,n) side 2. direction 3. way 
方便 : [ほうべん]
 【名詞】 1. expedient 2. means 3. instrument
便 : [べん, よすが]
 【名詞】 1. way 2. means
: [けい, たていと]
 (n) (weaving) warp

勝鬘師子吼一乗大方便方広経 ( リダイレクト:勝鬘経 ) : ウィキペディア日本語版
勝鬘経[しょうまんぎょう]
勝鬘経』(しょうまんぎょう、, シュリーマーラ・スートラ)、正式名称『勝鬘師子吼一乗大方便方広経』(しょうまんししくいちじょうだいほうべんほうこうきょう、, シュリマーラーデーヴィー・シンハナーダ・スートラ、勝鬘夫人獅子吼経)は、仏教における中期大乗仏教経典のひとつ。サンスクリット原典は失われ、チベット語訳と、求那跋陀羅訳・菩提流支訳の2種の漢訳経典が残っている(広く用いられるのは求那跋陀羅訳)〔勝鬘経とは - 世界大百科事典/コトバンク〕。大正新脩大蔵経では「宝積部」に収録されている(大正蔵353)。
原題は「シュリマーラーデーヴィー」(Śrīmālādevī)が「勝鬘夫人」、「シンハ・ナーダ」(siṃha-nāda)が「獅子-吼(しし-く)」(すなわち獅子が吼えるような雄弁をふるうこと)、「スートラ」(sūtra)が「経」、総じて「勝鬘夫人が雄弁をふるう経」の意。
この経典は、舎衛国波斯匿(はしのく)王の娘で在家の女性信者である勝鬘夫人が説いたものを釈迦が認めたとされ、一乗真実と如来蔵の法身が説かれている。『維摩経』とともに古くから在家のものが仏道を説く経典として用いられ、聖徳太子もこの経典の注釈書『勝鬘経義疏』を著している(本当に聖徳太子が記したかどうかについては異説もある)。
内容としては、大乗仏教の理想が強く打ち出されている。
特に、以下に挙げる「十大受」「三大願」は、大乗仏教の理想・理念をよく表現したものと言えよう。
==十大受(十の大きな誓い)==
#世尊よ、今後、私は戒め(すなわち、道徳的きまり)を逸脱するような心はけっして起こしません。世尊よ、この第一の誓いを、私は菩提の座に到達するまで厳守します。
#世尊よ、今後、私は師長(グル)たちに対し、不敬の心をけっして起こしません。世尊よ、この第二の誓いを、私は菩提の座に到達するまで厳守します。
#世尊よ、今後、私はどんな場合にも、衆生に対し怒ったり害したりする心をけっして起こしません。世尊よ、この第三の誓いを、私は菩提の座に到達するまで厳守します。
#世尊よ、今後、私は他人の幸福や他人の成功などに対し、羨望の念をけっして起こしません。世尊よ、この第四の誓いを、私は菩提の座に到達するまで厳守します。
#世尊よ、今後、私はほんの少しでも吝嗇の心を起こしません。この第五の誓いを、私は菩提の座に到達するまで厳守します。
#世尊よ、今後、私は自分自身の享楽のために財産を蓄えることはいたしません。ただ、世尊よ、貧乏で苦しんだり、身寄りのない衆生を成熟させるためには、大いに蓄えたいと思います。世尊よ、この第六の誓いを、私は菩提の座に到達するまで厳守します。
#世尊よ、今後、私は(布施と愛語と利行と同事という)四つの人をひきつけること(四摂事)によって、衆生たちのために役に立ちたいと望みます。(けっして)、自分のために利益を求めて衆生たちをひきつけるのではありません。ただ、世尊よ、無雑念、無倦怠、不退転の心をもって、衆生たちを暖かく包容しようと望みます。世尊よ、この第七の誓いを、私は菩提の座に到達するまで厳守します。
#世尊よ、今後、私は身寄りのないもの、牢につながれたもの、捕縛されたもの、病気で苦しむもの、思い悩むもの、貧しきもの、困窮者、大厄にあった衆生たちを見たならば、彼らを助けずには、一歩たりとも見捨てて行ってしまったりいたしません。世尊よ、私がそのような苦しみに悩む衆生たちを見たならば、それらの苦しみから逃れさせるために、財産の蓄えをもって(彼らの救助を)成就してのちはじめて、私は身を引くでしょう。世尊よ、この第八の誓いを、私は菩提の座に到達するまで厳守します。
#世尊よ、今後私は豚肉を売ったり、鳥屋などの罪ある商売で生活し、如来の説かれた教えやおきてをないがしろにする性質のものたちを見たならば、けっして無関心ではすごしません。世尊よ、部落でも村でも、町でも田舎でも、また王城の所在地でも、だれかれを問わず、私の命令の及ぶかぎり、こらしめるべきたぐいのものたちはこれを折伏し、救いとるべきものたちに対しては、これを摂受します。これはなぜかといえば、世尊よ、この折伏と摂受とによって、世の中に真実の教え(正法)をとこしえにあらしめるためです。真実の教えがもし永続するならば、神々や人間たちの身に生まれるものは増大し、(死後)悪道に赴くものたちは減少するでしょう。世尊よ、これこそは世尊が法輪を転ぜられた(目的)にしたがう道であります。世尊よ、この第九の誓いを、私は菩提の座に到達するまで厳守します。
#世尊よ、今後、私は真実の教えを身につけること(摂受正法)を忘れるような心はけっして起こしません。なぜかといえば、世尊よ、もし真実の教えを身につけることを忘れれば、大乗の教えを忘れます。世尊よ、大乗の教えを忘れれば、(修行の)究極的完成(波羅蜜)を忘れます。世尊よ、究極的完成を忘れれば、大乗を欲求しません。世尊よ、もし菩薩大士にして、大乗に安住していなければ、その人は真実の教えを身に保つことを欲せず、みずから誤った道にとどまります。世尊よ、彼は愚かな凡夫たちの地位に陥る運命のものとなりましょう。世尊よ、私はこれを罪悪と認め、大罪人とみなします。世尊よ、真実の教えを身に保つことによって、私も、また未来の菩薩たちも、量り知れない福徳をもたらすという目的を成就するものと考えます。世尊よ、この真実の教えを身につけるという第十の誓いを、私は菩提の座に到達するまで厳守します。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「勝鬘経」の詳細全文を読む




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