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功臣号 : ミニ英和和英辞書
功臣号[こうしんごう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

功臣 : [こうしん]
 (n) meritorious retainer
: [ごう]
  1. (n,n-suf) (1) number 2. issue 3. (2) sobriquet 4. pen-name 

功臣号 : ウィキペディア日本語版
功臣号[こうしんごう]

功臣号(こうしんごう)は、大日本帝国で製造された九七式中戦車改の1両。紅軍(後の中国人民解放軍)が初めて保有した戦車として知られる。
== 歴史 ==
日中戦争終結直後の1945年10月、紅軍は満州瀋陽市(旧奉天市)に進駐する。そして同市内にあった瀋陽918工廠(元関東軍戦車修理工場)にて2両の九七式中戦車改を発見し、これらに101号、102号の名称を与えて接収した。工廠には日本人の技術員も残留しており、紅軍は彼らに101号および102号の整備を命じた。しかし技術員グループは紅軍に対するサボタージュとして101号を破壊した。これを受けて紅軍ではすぐに102号の移動命令を出している。同年12月1日、紅軍史上初の戦車隊として東北特縦坦克大隊第1装甲師の前身)が編成された。同部隊はわずか30名の隊員と1両の戦車、すなわち102号のみで構成されていた。
1946年、第二次国共内戦が勃発。この頃、戦車隊は拡大と共に東北戦車団と改称されていたが、主力は102号と同様に各地で鹵獲された九七式中戦車改であった,その頃でへ102号は最初の戦車として、´おやじ戦車(老頭戦車)’の愛称を兵士たちから受けてしまた。1948年、錦州戦役の折、102号は国民党軍の防衛線を破り、紅軍の活路を開くことに成功した。戦いが終わった後、102号および操縦手の董来扶、砲手の呉佩竜に対して一等功が授与された。以後、102号は功臣号戦車(功臣号坦克)の通称で知られていく事になる。
その後も功臣号は漢陽戦役やに参加して最前線で戦い続けた。1949年2月3日、功臣号が北京入城を果たす。同年10月1日、北京にて中華人民共和国の建国宣言が行われた。功臣号は天安門広場におけるパレードに、装甲車両群の先頭車両として参加した。
朝鮮戦争への介入を経てソビエト連邦製戦車の配備が進むと、多くの日本製戦車は訓練車両などの後方任務に移された。功臣号は1959年に退役し、以後は北京の中国人民革命軍事博物館に展示されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「功臣号」の詳細全文を読む




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