翻訳と辞書
Words near each other
・ 劉植
・ 劉楊
・ 劉楨
・ 劉権
・ 劉欣
・ 劉欽
・ 劉欽 (曖昧さ回避)
・ 劉歆
・ 劉歓
・ 劉歓縁
劉歙
・ 劉武
・ 劉武周
・ 劉毅
・ 劉毓スウ
・ 劉毓崧
・ 劉氏
・ 劉氏長沙国
・ 劉永
・ 劉永 (新朝)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

劉歙 : ミニ英和和英辞書
劉歙[りゅう きゅう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [りゅう]
 【名詞】 1. axe 2. kill 

劉歙 : ウィキペディア日本語版
劉歙[りゅう きゅう]

劉 歙(りゅう きゅう、? - 34年)は、中国代から後漢時代にかけての政治家、武将。荊州南陽郡蔡陽県(湖北省棗陽市)の人。字は経孫。子は劉終劉柱。後漢の光武帝(劉秀)の族父にあたる。

== 事跡 ==

後漢書』で一応伝こそ立てられているが、劉歙本人については、反新の軍事活動でさしたる功績は記録されていない。むしろ、子の劉終の方が、劉秀と親しい関係にあったことから、父よりも活躍している。
更始2年(24年)2月、更始帝長安に遷都すると、劉歙もこれに随従し、元氏王に封じられている。しかし、翌更始3年(25年)に更始政権が滅亡すると、劉歙は劉終と共に洛陽へ逃げ込み、光武帝に降った。建武2年(26年)、劉歙は泗水王に封じられ、劉終は淄川王に封じられた。
建武10年(34年)、劉歙は死去し、子の劉柱が後継した。劉終も父の死を悲しむ余り、後を追うように病没した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「劉歙」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.