翻訳と辞書
Words near each other
・ 劉曄
・ 劉曉トン
・ 劉曉彤
・ 劉曜
・ 劉曼卿
・ 劉望
・ 劉東元
・ 劉東勲
・ 劉東勳
・ 劉松山
劉林
・ 劉柏年
・ 劉栄
・ 劉栄祖
・ 劉桂珠
・ 劉桃符
・ 劉棣懐
・ 劉植
・ 劉楊
・ 劉楨


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

劉林 : ミニ英和和英辞書
劉林[りゅう りん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [りゅう]
 【名詞】 1. axe 2. kill 
: [はやし]
 【名詞】 1. woods 2. forest 3. copse 4. thicket 

劉林 : ウィキペディア日本語版
劉林[りゅう りん]
劉 林(りゅう りん、生没年不詳)は、中国前漢時代末期から後漢時代初期にかけての漢の宗族に属する人物。父は趙繆王劉元とされているが、そのような人物の存在は確認できない〔劉元は『後漢書李賢注では景帝の七代目の子孫とされているが、『漢書』諸侯王表や景十三王伝にそれらしい人物は存在しない。平干繆王劉元という人物は存在するが、景帝の曾孫であって七代目には当たらない。〕。
== 事跡 ==

劉林は、術策(「奇数」)を好み、趙・魏の間で任侠として知られ、多くの豪傑や悪党(「豪猾」)と交流していた。このため、当時は占師であった王郎とも交遊があったが、あるとき、王郎は劉林に対して、自分は成帝の子の劉子興であり、幼い頃は蜀の地に隠れていたが、天機あるべしとして燕・趙にやってきた、と語った。劉林はこれを信じ、趙の豪族(「大豪」)である李育張参と共に、王郎を皇帝に擁立する計画を練った。
ただこの頃、赤眉軍が黄河を渡って北進してくるとの噂が飛び交い、更始1年(23年)10月には、更始帝(劉玄)の命を受けて河北平定にやってきた破虜将軍、行大司馬事劉秀(後の光武帝)が邯鄲を訪れ、劉林はこれと面会している。劉林は河北に脅威を与える赤眉軍を堤防を切って殲滅する策を劉秀に提案するが、劉秀はそれに返答をせず、邯鄲を離れてさらに北方の真定へ向けて進行した。
これにより劉林は、王郎擁立を最終的に決断したと見られる。劉林らは赤眉軍が来るとの伝聞を更に煽り〔実際には、少なくとも樊崇ら赤眉軍の主力部隊は、黄河を渡ってくることはなかった。〕、王郎を擁立する正統性としたところ、多くの人はそれを信じた。
この年の12月、劉林らは数百の車騎を率いて邯鄲に入城し、かつての趙王の宮殿で王郎を天子として即位させた。劉林は丞相、李育は大司馬、張参は大将軍に任命されている。そして北方の各郡国に檄を発し、軍を派遣して、趙国以北、遼東以西は王郎の支配領域となった。
しかし翌更始2年(24年)、当初は劣勢にあった劉秀が次第に勢力を盛り返し、同年5月に邯鄲は陥落して、王郎は滅亡した。なお、劉林の生死・行方は不明である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「劉林」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.