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兼高かおる世界の旅 : ミニ英和和英辞書
兼高かおる世界の旅[かねたかかおる せかいのたび]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [けん]
  1. (conj,n) and 2. in addition 3. concurrently 
: [たか]
 【名詞】 1. quantity 2. amount 3. volume 4. number 5. amount of money 
: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
世界 : [せかい]
 【名詞】 1. the world 2. society 3. the universe 
: [たび]
  1. (n,vs) travel 2. trip 3. journey 

兼高かおる世界の旅 : ウィキペディア日本語版
兼高かおる世界の旅[かねたかかおる せかいのたび]

兼高かおる世界の旅』(かねたかかおる せかいのたび、英題:''KAORU KANETAKA in "Hopping Around The World"''〔1966年7月10日放送の第311回「南へのいざない」および1967年7月16日放送の第357回「ナッソーの魅力」の時点でのクレジット〕 →''KAORU KANETAKA'S "THE WORLD AROUND US"'')とは1959年12月13日から1990年9月30日にかけて30年10か月の間、TBS系列局で主に毎週日曜日朝に放送された紀行番組である。2007年5月6日からTBSチャンネルで再放送が開始された。
== 概要 ==
ジャーナリスト兼高かおるディレクタープロデューサーレポーターナレーター、そして時にはカメラマンすべてを兼ね、世界各地160か国を取材した映像を放送していた。
放送開始当初のタイトルは『兼高かおる世界飛び歩き』( - とびあるき)だったが、1960年6月19日放送分をもって一旦中断し、同年9月20日放送分から放送を再開し、『兼高かおる世界の旅』に改題した。放送回数は『世界飛び歩き』を含めて、1586回。全行程は721万kmであり、地球を180周した計算になる。
単に映像を放映するだけではなく、ナレーションとして、兼高が芥川隆行に旅行の状況を語る。ただし『世界飛び歩き』時代は、芥川でなく別のTBSアナウンサー〔『TBS50年史』では芥川の後輩・落合博一とされている。〕が、紹介する国の概要などをナレーションするなどその都度間に入り、それとは別に、兼高は旅先であったことなどの詳細をナレーションするという形で番組は進行していった。ちなみに、兼高のナレーション参加は番組開始当初から一貫して行われていた。「世界の旅」に鞍替えしてからも同様の構成で、特に変更は無かった。しかし、途中から落合と簡単な会話をしつつ番組が進行するという形に変化していった。そして、(再放送等で確認できる限りにおいて)42回目ごろには担当が芥川に変わり、両者の会話も非常に活発になって兼高自身も生き生きと語るようになり、この形式が、番組終了まで続いた。
「アジアのパリー(サイゴン、現・ホーチミンシティ)」「中東のパリー(ベイルート)」「南米のパリー(ブエノスアイレス)」など、美しい街に「○○のパリー(「パリ」ではなく「パリー」と発音)」と付けて紹介することも多かった。
番組開始から20年以上にわたりパンアメリカン航空(PAA)が協賛していた。PAA倒産後、スカンジナビア航空(SAS)〔スカンジナビア航空は兼高が世界一周取材旅行をするきっかけを作った1958年の「世界一周早回り」の協賛社でもあった。〕に代わっている。番組の第一期(白黒テレビ番組時代、及びカラー化移行直後時代、1977年まで。カラー放映時での番組タイトル・テロップ色は白色)において、テーマ曲には映画八十日間世界一周』のテーマが使用された。
最初期の放送作品のタイトル、例えば「バルセロナの情熱」のOPが差し替えられていることは下記の項目にあるとおりである。制作に参加していた「東京テレビ映画株式会社」は、KRテレビ時代の1955年に設立されている。一方で、東京放送・TBSという称号・略称が用いられるようになった時期は、東証に株式を上場した1960年10月である。よって、差し替えられた部分は、1960年10月以降で、かつ、東京テレビ映画株式会社が1967年に「TBS映画社」に改めるまでの間に使われたモノクロのオープニング映像を、一部差し替えたものとなる。
オープニングでは世界各国の映像を流しながら当番組の数々の賞歴をエンドロールの形式で流し、最後の方では飛行機の映像に変わっていたが、のちに協賛会社のナレーションが追加された。当初(PAA)時代は「番組の制作に当たっては世界で最も経験のある航空会社パンアメリカンの協力を得ました」で、のちに「この番組の制作にあたっては世界の翼、パンナムの協力を得ました」となり、(SAS)に交代以降は「この番組の制作にあたってはSASスカンジナビア航空の協力を得ました」と言っていた。
オープニングタイトル(「兼高かおる世界の旅」の部分)のフォントは、最初期のころはゴシック体だったが、1971年時点のカラー版では、「兼高かおる」が手書き風、「世界の旅」が楷書体に変わっている。
1970年 - 1971年時点でのオープニングは、カラーとモノクロを織り交ぜた映像になっているが、エンディングは、パンナムビル(現メットライフビル)屋上ヘリポートに着陸中のケネディ国際空港パンナム専用ターミナル連絡便大型ヘリコプター(解説HP )やパンナム航空旅客機、並びに所属スチュワーデス(客室乗務員)らを映したものとなっている。
番組開始当初はまだ日本人の海外渡航自体に制限があり(海外旅行が自由化されたのは1964年4月1日)、また1ドル=360円時代でかつ外貨持ち出し制限もあるなど数々の困難があった。
当初の番組タイトルは『兼高かおる世界飛び歩き』、英題:''KAORU KANETAKA in "Hopping Around The World"''であったが、2010年8月当時再放送された、1970年放送の番組オープニングでは、邦題『兼高かおる世界の旅』であるにもかかわらず、英題は "Hopping..." が継続して使用されていた。
1990年9月30日放送分をもって、『兼高かおる世界飛び歩き』時代の半年間、『兼高かおる世界の旅』時代の30年間の計30年半の放送にピリオドを打った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「兼高かおる世界の旅」の詳細全文を読む




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