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儂智高 : ミニ英和和英辞書
儂智高[のん づうご]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [わし]
  1. (n,adj-no) I 2. me (used by elderly)
: [たか]
 【名詞】 1. quantity 2. amount 3. volume 4. number 5. amount of money 

儂智高 : ウィキペディア日本語版
儂智高[のん づうご]

儂 智高(のん づうご,チワン語:Nungz Cigaoh、1025年 - 1055年頃)は、北宋の大暦国・南天国・大南国の反乱の指導者、チワン族の歴史における民族英雄である。チワン族
==背景==
儂智高は、安德州出身。のちに広源州(現在の広西チワン族自治区西部百色市の管轄下に置く靖西市徳保県とその周辺地域)を攻め、勢力を持ってきた。中国宋王朝の前に、広源州では、韋、黄、周、儂と呼ばれる四大土豪家族が長期的にこの地域の政治経済の実権を握っていた。彼らはお互いに競争が激しくなっていた。やっと儂家は、地元の支配優位を得た。中国では、中央王朝が地元の有力者を用いて地方を間接的に統治する土司制度が、宋代に始まった〔黄現璠「桂西の土司制度について」、『チワン族、ヤオ族史科学シンポジウム論文』、1962年。〕。宋代初頭に、広源州の儂家は宋王朝との密接な関係を保っていた。宋王朝が南漢を倒した後、のちに儂智高の地元となる広源州から、儂民富という土豪が宋の太宗太平興国2年(977年)に宋王朝に朝貢し官職を得ている。それ以来、儂家族の地元勢力がますます強くなった。
儂智高の父は儂存福(儂全福)と呼ばれ、安徳州(傥犹州の管轄下に置く)の儂家土豪であった。宋の仁宗天聖7年(1029年)に、儂家が宋王朝に朝貢し官職を得て、儂存福が傥犹州(現在の靖西市の東部地域)の知州を任じられ、弟の儂存禄が万涯州(万崖州、現在の大新県)の知州を任じられ、儂存福の妻の弟が武勒州(現在の扶綏県、その時の傥、万、武三州を広源州の管轄下に置く)の知州を任じられた。のちに儂全福は広源州とその周辺地域に攻め入って勢力の拡張を図り、また宋の仁宗の宝元元年(1038年)に交趾(現在のベトナム北部ソンコイ川流域地域を指す)の支配から脱するために乱を起こした。そして自ら昭聖皇帝と称し、妻の阿儂を明徳皇后となし、長子智聰を南衛王に封じ、広源州を改めて長生国を建て、年号を「大漢」と称した。しかし、まもなく、交趾の討伐をうけ、翌年の春に儂全福と儂智聰を捕らえられて殺された。儂智高は母の阿儂と共に安徳州(現在の靖西県安徳鎮)の文村へ逃亡し、交趾の手を逃れた。その時から、智高は交趾を憎むようになった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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