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人生いろいろ : ミニ英和和英辞書
人生いろいろ[じんせいいろいろ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ひと]
 【名詞】 1. man 2. person 3. human being 4. mankind 5. people 6. character 7. personality 8. true man 9. man of talent 10. adult 1 1. other people 12. messenger 13. visitor 1
人生 : [じんせい]
 【名詞】 1. (human) life (i.e. conception to death) 
: [せい, なま]
  1. (adj-na,n,adj-no) (1) draft (beer) 2. draught 3. (2) raw 4. unprocessed 

人生いろいろ : ウィキペディア日本語版
人生いろいろ[じんせいいろいろ]

人生いろいろ」(じんせいいろいろ)は、1987年昭和62年)4月21日島倉千代子が発表したシングルである。
== 概要 ==
TBSが同局で放送したテレビドラマ三どしま』の主題歌制作を日音に依頼して制作された楽曲で島倉の代表曲でもある〔『この歌この歌手―運命のドラマ120〈下〉』254-255頁。〕〔『昭和歌謡100名曲 part.3』302ページ〕。浜口が函館の街をイメージして作った「坂のある町」が原曲。当初、作詞者の中山が予定した曲名は「笑いばなしにして」〔で、「花ごよみ」のB面曲だった〔。当初酒で憂さを晴らす歌詞を酒を飲まない島倉に合わせて一部歌詞を変更〔。レコーディング時に同席した村上司山田廣作の判断により、タイトルを分かりやすい「人生いろいろ」に変更し〔〔『昭和歌謡100名曲 part.3』303ページ〕、A面曲になった〔。
本楽曲が話題になり始めたのは、1987年10月13日の「第20回日本作詩大賞」の受賞がきっかけである〔『この歌この歌手―運命のドラマ120〈下〉』256頁。〕。同年には「第29回日本レコード大賞」で作詞賞を受賞し、さらには当時のフジテレビオレたちひょうきん族』の「ひょうきんベストテン」コーナーで、山田邦子が島倉のものまねをしながら本曲を歌唱したことで、徐々にオリコンチャートや有線放送チャートを上昇して大ヒットとなり人気はさらに拡大した〔『この歌この歌手―運命のドラマ120〈下〉』259頁。〕島倉さんモノマネ山田邦子も無念 ご褒美の着物「今も大切に」 - スポニチアネックス 2013年11月8日〕。同時期に他のものまねタレントでは、コロッケなども本曲を披露していた〔コロッケ沈痛「『もっとふざけてもいい』と声かけてくれた」 - サンケイスポーツ 2013年11月8日〕。「100万枚記念パーティー」では、山田とコロッケが招待されて本人の目の前で、島倉の物真似による「人生いろいろ」を熱唱。これに対し島倉は、「山田邦子さんとコロッケさんのお陰で、『人生いろいろ』が若い方にも親しまれるようになり、光栄です」と2人を賞賛する(ただしコロッケに対して、「コロッケさんは酷いと思う時もありますが」とも続けて冗談で述べていた。それでもコロッケ本人には「もっとふざけてやっていいのよ」と話していたという)。
後に2人には感謝の気持ちから特に島倉が大切にしていた着物を贈呈しており、山田には『第39回NHK紅白歌合戦』歌唱時の衣装で、大変に高価で美術館に展示できるほどの価値がある純白に金銀の鶴が飛んでいる模様の着物と金色の帯を『ご褒美に』と言われて戴いたと山田が語っており、今までに田村亮子などの披露宴出席時にこの着物を着たそう。コロッケには同曲のシングル盤ジャケット写真で島倉が実際に着ていた同じ柄の着物をコロッケの体型に合わせて仕立て、且つステージ上で早替えができるようにと特別に面ファスナーを取り付けて贈呈して、このお揃いの着物を着て一緒にテレビ番組に出演している。逝去後のインタビューで2人は島倉の形見となった着物は現在もとても大切に所有しているそうでプライベートでも島倉からは大変可愛がっていただいたと語っている。1988年には「第8回メガロポリス歌謡祭」の演歌大賞、「第30回日本レコード大賞」の金賞・最優秀歌唱賞を受賞する〔。累計売上は130万枚に達した〔『サンケイスポーツ』2013年11月9日付、大阪本社版12版、26面。〕。
1957年の『第8回NHK紅白歌合戦』から1986年まで『第37回NHK紅白歌合戦』に30回連続で『NHK紅白歌合戦』に出場していた島倉だったが、本楽曲が発表された1987年、「30回という数字を汚したくない」と卒業宣言をして『第38回NHK紅白歌合戦』への出場を辞退した。しかし上述の大ヒットに加えて、当時病気療養中だった作曲者の浜口〔2年後の1990年12月2日に死去。〕に「歌う姿を見て元気になって貰いたい」という思いから、翌1988年の『第39回NHK紅白歌合戦』に2年ぶりに復帰出場し本曲を歌唱〔島倉は前年出場辞退を浜口に報告したところ、「紅白で「人生いろいろ」が聞けないのか」と返されたことを明かしている(『島倉家-これが私の遺言』)。〕〔但しこの復帰出場に対して「紅白を卒業すると言ったのに」との批判の声も一部あった(『紅白50回』56頁)。〕。以後も紅白では、1994年第45回NHK紅白歌合戦』、2004年第55回NHK紅白歌合戦』と、計3回歌唱されている〔。2005年スキウタ〜紅白みんなでアンケート〜では、紅組の76位にランクインした。
TBSテレビザ・ベストテン」では1987年11月26日、「今週のスポットライト」のコーナーへ同番組において、島倉自身最初で最後の出演を果たしている〔「ザ・ベストテン館」スポットライト出演アーティスト変遷 その3(1986年→1989年) 〕。
島倉は本曲を「第2のデビュー曲」と思っていると語った〔『島倉家-これが私の遺言』〕。
2004年には当時内閣総理大臣小泉純一郎衆議院決算行政監視委員会で「人生いろいろ、会社もいろいろ、社員もいろいろ」と、本曲を使って答弁した〔小泉純一郎君答弁 衆議院決算行政監視委員会会議録(2004年6月2日、国会会議録)〕。
2003年の『27時間テレビ』(フジテレビ)内のちびまる子ちゃんのスペシャルアニメで島倉が本人役で出演した際、この回のみのエンディングテーマとして本曲が使用された。
2013年に島倉が逝去した時には、告別式出棺時に本曲が流され、計3000人の参列者が手拍子で合わせた〔島倉千代子さん:「人生いろいろ」に3000人が手拍子で見送り 毎日新聞デジタル(まんたんウェブ)、2013年11月14日〕。
同年11/25付オリコン週間カラオケランキング(集計期間:11/11~17)で50位圏外から急上昇し、AKB48恋するフォーチュンクッキー」に次ぐ2位にランクイン。
また坂本冬美〔EMI MUSIC Japan:坂本冬美 ヒットカバー名曲集 、2002年〕、八代亜紀〔コロムビアミュージックエンタテイメント:八代亜紀 名曲カバー傑作撰 、2009年〕、テレサ・テン伍代夏子など、多数の女性演歌・歌謡歌手によってカバーされている。
2008年から、島倉が東京都品川区出身であることにちなみ、京浜急行電鉄青物横丁駅の電車接近チャイムに採用された。他にマンダム「ギャツビー」のCMにもかつて用いられていた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「人生いろいろ」の詳細全文を読む




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