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九七式戦闘機 : ミニ英和和英辞書
九七式戦闘機[きゅうななしきせんとうき]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [く]
  1. (num) nine 
: [しち]
  1. (num) seven 
: [しき]
  1. (n,n-suf) (1) equation 2. formula 3. expression 4. (2) ceremony 5. (3) style 
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦闘 : [せんとう]
  1. (n,vs) battle 2. fight 3. combat 
戦闘機 : [せんとうき]
 (n) fighter (aircraft)
: [き, はた]
 (n) loom

九七式戦闘機 : ウィキペディア日本語版
九七式戦闘機[きゅうななしきせんとうき]

九七式戦闘機(きゅうななしきせんとうき)は、大日本帝国陸軍戦闘機キ番号(試作名称)はキ27。略称・呼称は九七戦九七式戦など。連合軍のコードネームはNate(ネイト)。開発は中島飛行機、製造は中島および立川飛行機満州飛行機
陸軍初の低翼単葉戦闘機として、1940年(昭和15年)前後の主力戦闘機として使用された。旋回性能に大変優れ、水平面での格闘戦では右に出る機体は無かったとされる。
== 開発・概要 ==

1935年(昭和10年)、海軍九試単座戦闘機(試作機、のちの九六式艦上戦闘機)の成功に刺激された陸軍は、海軍の了解のもとに、九試単戦を陸軍用に改修させた三菱重工業キ18を審査した。しかし、キ18はエンジンの信頼性不足などを理由に制式採用には至らず、とりあえず川崎航空機キ10九五式戦闘機として制式採用された。しかし旧態依然たる複葉機である九五戦では主力戦闘機としての任に耐えないため、それに代わる機体として1936年(昭和11年)4月、低翼単葉戦闘機の競争試作を中島・三菱・川崎の3社に指示した〔#仮制式制定の件p.20〕。
これを受けて中島のキ27、川崎のキ28、三菱のキ33(九六艦戦の改造機)の競争となったが〔、先のキ18の不採用にしこりが残る三菱は試作機の提出はしたものの熱意を示さなかった。このため1937年(昭和12年)2月から始まった審査では〔#仮制式制定の件pp.20-21〕、水冷エンジンで信頼性に不安のあるキ28を抑えて本機が選定された。この間、盧溝橋事件が発生したため審査を急ぎ〔#仮制式制定の件p.21〕、9月に終了、1937年(昭和12年、皇紀2597年)に九七式戦闘機として制式採用された〔#仮制式制定の件pp.21-22〕。
採用当時の九七戦は、最大速度・上昇力でユンカース Jumo 210エンジンを搭載するドイツメッサーシュミット Bf 109 B/C/D(B型は1936年11月に初飛行したBf 109の最初期量産型、D型まで同じJumo 210系列エンジンを搭載し1937年および1938年当時の主力)と遜色なく、かつ旋回性能ではこれを凌駕していた高性能機であった。しかし同時期の欧州では九七戦と異なり、設計面で将来性のあるBf 109(1938年12月には高出力のダイムラー・ベンツ DB 601に換装し高性能化されたE型が登場、さらにのちのG型ではDB 605に再度換装し敗戦まで主力)、スーパーマリン スピットファイアホーカー ハリケーンなどが完成しており、九七戦自体に限界を感じていた陸軍は高速重武装の重単座戦闘機志向を強めていくことになる〔#青木回想85-86頁〕。
陸軍航空本部は(九七戦開発中に考案された)昭和12年度陸軍航空兵器研究方針に則って機関銃搭載型・機関砲搭載型の2種の単座戦闘機開発を模索し、九七戦が採用された1937年12月に中島に対し一社特命でキ43の試作内示を、翌1938年(昭和13年)にはキ44の研究内示を行っている。昭和13年度陸軍航空兵器研究方針には新たに「軽単座戦闘機」・「重単座戦闘機」の区分が登場、「軽戦(軽単座戦闘機)」は格闘戦性能を重視し機関銃を装備し、「重戦(重単座戦闘機)」は速度を重視し機関砲を装備するものと定義され、当時開発中であったキ43は「軽戦」にキ44は「重戦」となった(両機はのちに前者が一式戦闘機「隼」、後者が二式戦闘機「鍾馗」となる)。区分が明文化された昭和15年度陸軍航空兵器研究方針において、「重戦」は高速重武装で航続距離や防弾装備にも優れ対戦闘機対爆撃機戦に用いる万能機たる本命機となり、「軽戦」は格闘戦を重視し主に対戦闘機戦に用いる性能装備面で妥協した補助戦闘機的ものとなっている〔1941年(昭和16年)末には中島に対し「重戦」の発展型としてキ84の内示が行われ、これはのちに四式戦闘機「疾風」として採用、これは速度・武装・防弾・航続距離・運動性・操縦性・生産性に優れた万能機となっている。昭和18年度陸軍航空兵器研究方針では「軽戦・重戦」の区分は廃止され、妥協の産物である「軽戦」は「重戦」に併呑され「近距離戦闘機(近戦)」となっている(同年度方針では「近戦」のほかに「遠距離戦闘機(遠戦)」・「高高度戦闘機(高戦)」・「夜間戦闘機(夜戦)」の区分が登場)。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「九七式戦闘機」の詳細全文を読む




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