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久夛良木健 : ミニ英和和英辞書
久夛良木健[くたらぎ けん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [りょう]
 【名詞】 1. good 
: [き]
 【名詞】 1. tree 2. wood 3. timber 
: [けん]
 【名詞】 1. health 2. strength 3. stick-to-itiveness 

久夛良木健 : ウィキペディア日本語版
久夛良木健[くたらぎ けん]

久夛良木 健(くたらぎ けん、1950年昭和25年)8月2日 - )は、日本技術者実業家PlayStationの生みの親。「夛」は「多」の異体字であるため、の「久夛良木」は「久多良木」と表記されることもある。
サイバーアイ・エンタテインメント株式会社代表取締役社長〔インサイド, 2009年11月12日、久多良木健氏、サイバーアイ・エンタテインメントを設立して活動再開 〕、ソニー株式会社シニアテクノロジーアドバイザー。ほか、立命館大学大学院経営管理研究科客員教授、株式会社角川グループホールディングス、株式会社角川マガジンズ楽天株式会社、株式会社ノジマ、株式会社マーベラスAQLの各社で、社外取締役を務める。
1999年4月よりソニー・コンピュータエンタテインメント (SCE) の代表取締役社長2001年執行役員制導入によりCEOも務めた。2000年からはソニー取締役にも就任し、2003年4月から2005年3月までは、ソニー副社長兼COOを務めた。2006年12月1日付でSCE社長職を退き、SCE代表取締役会長兼グループCEOに就任。2007年6月19日の任期満了を持ってSCEの代表取締役会長兼グループCEOを退任し名誉会長に就任、2011年6月28日に名誉会長を退任した。〔http://www.scei.co.jp/corporate/release/pdf/110629.pdf〕
== 経歴 ==
1950年、東京都江東区生まれ。父親は福岡県出身で、戦前台湾で新高堂書店〔戦後は目黒区に移転し、現在でも中目黒アトラスタワーに店舗を構えている。〕という書店を親族で経営、戦後引き揚げ江東区で小さな印刷屋を始めた人物。
生まれつき体が弱く「10歳までは生きられない」と言われたこともあったが〔「神の雫」x「ニコ動」チャンネル, 2012年6月19日〕、幼少期から家業を手伝っていたという。1969年早稲田高等学校を卒業後、2年の浪人生活を過ごした後、1971年電気通信大学電子工学科に入学。その後、1975年に同大学を卒業しソニーに入社。大学時代の指導教員は長谷川伸教授であり、画像処理に関する卒業研究を行った。
ソニー入社後は、液晶ディスプレイの研究開発を行なっていたが、当時ソニーはトリニトロンに注力していたため、研究に没頭しつつも成果が出ない不遇の日々を過ごす。液晶を使った音声バーグラフ装置(オーディオ機器の音の変動と連動し、バー表示が変化するもの。いわゆるピークメーター。)を開発するが、液晶ではコストが高すぎるという理由でLEDに差し替えられた。なお、このLED音声バーグラフ装置は、ソニー社外の機器にも広く使われ、出荷量が1000万個を超えるヒット商品となった〔麻倉怜士『ソニーの革命児たち』IDGコミュニケーションズ、1998年〕。その後、2インチフロッピーの研究に携わる中でデジタル信号処理に興味が向かい、まもなくソニーの情報処理研究所に引き抜かれる。同研究所内で業務用のデジタルビデオエフェクタ「システムG」に出会い、これをゲームに転用できないかと考えるようになる。
ディスクシステムのフロッピーが気に食わなかったことから任天堂に売り込みをかける中で、任天堂とつながりを持つようになり、その後PCM音源の売込みに成功し、更にはスーパーファミコン向けのCD-ROMアダプタ開発プロジェクトの中心人物になる。その後、紆余曲折を経て、社内ベンチャー・カーブアウトによりSCEを設立し、1994年PlayStationの発売を実現。その後のPlayStation 2などと併せて、ゲーム業界において記録的な大成功を収めた。
1999年にSCEの社長に就任。2003年4月にはソニー本体の取締役およびホームエレクトロニクス・ゲーム・半導体部門を統括する執行役副社長に就任、ソニー本体、特にエレクトロニクス部門の不振や自身が推奨し開発したPSXの失敗などが解消できず、責任をとる形で2005年3月に副社長を退任し、SCEの経営に専念することとなった。
2004年4月には雑誌『TIME』が公表した「世界で最も影響ある100人」に選ばれるものの〔米TIME誌, 2004年4月、世界で最も影響力のある人物100人(The Time 100) 〕、そのわずか2年後の2006年6月には、CNNが公表した「重要ではない人物10人」の中の一人として、マイクロソフトCEOのスティーブ・バルマーLinuxカーネル開発者のリーナス・トーバルズなどとともに選出された〔米CNN, 2006年、重要でない人物世界トップ10 (10 People Who Don't Matter) 〕。
2005年3月、ロサンゼルスで行われたElectronic Entertainment Expo(E3)にてPlayStation 3(外観とスペックのみ)を公開した。5月には、SCEがPS3のプレスリリースを出している。
2006年12月、ソニーのハワード・ストリンガー会長によりSCEグループの会長に“棚上げ”。後任としてSCEアメリカ社長だった平井一夫がSCE社長兼グループCOOに就任。
2007年4月26日、ソニーの取締役会に対して辞表を提出。
2007年6月19日、代表取締役会長兼SCEグループCEOを退任し名誉会長に就任。これにより、久夛良木はSCE役員職から退くこととなった。SCEグループCEOとしての最後の仕事はPSP-2000開発であった。
2007年11月26日、ビデオゲームの振興を目指す非営利団体Academy of Interactive Arts & Sciences(AIAS)は久夛良木に「特別功労賞(Lifetime Achievement Award)」を授与すると発表した。プレイステーションにより、世界中の家庭内エンターテインメントを革新したとして、久夛良木の功績を評価しての受賞となった〔ITmedia, 2007年11月27日、「プレステの父」久夛良木氏、特別功労賞を受賞 〕。
2008年6月22日より、角川グループホールディングスの社外取締役、2009年より角川メディアマネジメント(現・角川マガジンズ)の社外取締役を務める。
2009年4月より、立命館大学大学院の客員教授に就任。同年、10月にはサイバーアイ・エンタテインメントを設立〔。
2010年2月より、楽天2011年6月よりノジマ2013年よりマーベラスAQLの社外取締役を務める。
2016年、デジタル・コンテンツ・オブ・ジ・イヤー’15/第21回AMDアワードで功労賞を受賞。
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