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中島陟 : ミニ英和和英辞書
中島陟[なかじま のぼる]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [なか]
 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among 
中島 : [なかしま, なかじま]
 【名詞】 1. island in a pond or river 
: [しま]
 【名詞】 1. island 

中島陟 : ウィキペディア日本語版
中島陟[なかじま のぼる]
中島陟(なかじま のぼる、1889年7月 - 1958年2月)日本の実業家都市計画家。多摩湖鉄道株式会社常務、駿豆鉄道、箱根土地各株式会社取締役歴任。堤康次郎の正妻川崎文の妹婿。兵庫県生まれ。
東京外語学校卒業後、帝室農野局勤務。1922年 箱根土地株式会社入社 堤康次郎と西武グループの形成。 1923年12月から1925年4月まで、都市計画調査のため欧米に留学。
1924年の学園都市構想100万坪土地確保・国立開発着手のため坪3円で中島陟、越丸八重蔵が堤に同行。1928年1月15日 多摩湖鉄道取締役就任。5月、多摩湖鉄道常務取締役就任。1936年、箱根土地株式会社代表取締役。
1957年 国土計画興業社長就任。
== 参考文献 ==

*堤康次郎と西武グループの形成、社内報西武
*野田正穂「多摩湖鉄道の12年間」『東村山市史研究』第7号、1998年
*『日本紳士録』1933年版(交詢社) (国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
*野田正穂「学園都市の形成と交通の発達」『多摩 鉄道とまちづくりのあゆみII』1995年



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「中島陟」の詳細全文を読む




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