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世界人権宣言 : ミニ英和和英辞書
世界人権宣言[せかいじんけんせんげん]
(n) Universal Declaration of Human Rights (1948)
===========================
: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
世界 : [せかい]
 【名詞】 1. the world 2. society 3. the universe 
世界人 : [せかいじん]
 【名詞】 1. cosmopolitan 2. world citizen
世界人権宣言 : [せかいじんけんせんげん]
 (n) Universal Declaration of Human Rights (1948)
: [ひと]
 【名詞】 1. man 2. person 3. human being 4. mankind 5. people 6. character 7. personality 8. true man 9. man of talent 10. adult 1 1. other people 12. messenger 13. visitor 1
人権 : [じんけん]
 【名詞】 1. human rights 2. civil liberties 
人権宣言 : [じんけんせんげん]
 (n) (France's revolutionary era) Declaration of the Rights of Man
: [けん, ごん]
  1. (n,n-suf) authority 2. the right (to do something) 
宣言 : [せんげん]
  1. (n,vs) declaration 2. proclamation 3. announcement 
: [げん]
 【名詞】 1. word 2. remark 3. statement 
世界人権宣言 : ウィキペディア日本語版
世界人権宣言[せかいじんけんせんげん]

世界人権宣言(せかいじんけんせんげん、、略称:UDHR)は、1948年12月10日の第3回国際連合総会で採択された、すべての人民とすべての国が達成すべき基本的人権についての宣言である(国際連合総会決議217(III))。正式名称は、人権に関する世界宣言
世界人権宣言は、この宣言の後に国際連合で結ばれた人権条約の基礎となっており、世界の人権に関する規律の中でもっとも基本的な意義を有する。
これを記念して、1950年の第5回総会において、毎年12月10日を「世界人権デー」とし、世界中で記念行事を行うことが決議された。日本は、この日に先立つ1週間を人権週間としている。
== 歴史 ==
国際連合経済社会理事会の機能委員会として1946年国際連合人権委員会が設置されると、同委員会は国際人権章典と呼ばれる単一規範の作成を目指し起草委員会を設置したが、権利の範囲や拘束力の有無を巡って意見が対立し作成のめどが立たなかったため、いったん基礎となる宣言を採択し、その後それを補強する複数の条約及び実施措置を採択することとなった。
起草委員会は、オーストラリアベルギー白ロシアチリ中華民国エジプトフランスインドイランレバノンパナマフィリピンイギリスアメリカソビエト連邦ウルグアイ、およびユーゴスラビアからの代表によって構成されており、広範囲に国際社会を代表できるよう設計されていた。委員会の著名なメンバーは、委員長であるアメリカのエレノア・ルーズベルトをはじめ、ルネ・カサン(フランス)、 (カナダ)、P. C. チャン(中華民国)、Charles Malik (レバノン)、Hansa Mehta(インド)などだった〔http://www.un.int/india/india%20&%20un/humanrights.pdf〕。ハンフリーは、委員会のたたき台になった最初の草案を提供した。
こうして世界人権宣言が起草され、1948年12月10日に賛成48票、反対0、棄権8(ソヴィエト連邦ウクライナベラルーシユーゴスラビアポーランド南アフリカ連邦チェコスロバキアサウジアラビア)で採択された。また、イエメンホンジュラスの代表は欠席した。南アフリカが棄権したのは、彼らが維持しようとしていたアパルトヘイトのシステムが世界人権宣言の内容に明確に違反していたためだった〔。サウジアラビアの棄権は、世界人権宣言のうちの2つの項目、すなわち16条の結婚の権利、および18条の宗教変更の自由に同意できなかったためだった〔。また、この宣言はファシズムナチズムに対する批判を十分に行っていないとの理由でソ連をはじめとする6共産国が棄権に回った。エレノア・ルーズベルトは、ソ連圏の棄権の理由として13条の移動の自由の保障を挙げた。
以下の国々は、この案に賛成票を投じた。
カナダのジョン・ピーターズ・ハンフリーが果たした中心的な役割にもかかわらず、カナダ政府は、最初の宣言の草案に棄権したものの、総会での最終案には賛成票を投じた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「世界人権宣言」の詳細全文を読む




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