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上野忠親 : ミニ英和和英辞書
上野忠親[うえの ただちか]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [じょう]
 (n,pref,suf) 1. first volume 2. superior quality 3. governmental 4. imperial 5. top 6. best 7. high class 8. going up 9. presenting 10. showing 1 1. aboard a ship or vehicle 12. from the standpoint of 13. as a matter of (fact) 13. superior
上野 : [うえの]
 【名詞】 1. section of Tokyo 
: [の]
 【名詞】 1. field 

上野忠親 : ウィキペディア日本語版
上野忠親[うえの ただちか]
上野 忠親(うえの ただちか、貞享元年(1684年) - 宝暦5年5月9日1755年6月18日)は、江戸時代中期の鳥取藩士。通称は小平太、幼名は小平次、または新九郎。
==経歴==
貞享元年(1684年)、山城国伏見の西尾氏の家に生まれる。池田光仲の側室・上野氏(後に厚恩院)の甥に当り、その縁で元禄7年(1694年)、鳥取に招かれ、厚恩院の養子となった。厚恩院の許で養育された忠親は元禄11年(1698年)~12年(1699年)にかけて学問を習うため、京都へ上った。宝永4年(1707年)3月、厚恩院の申し出により、300石が与えられ、正徳2年(1712年)8月、上野姓に改めた。享保7年(1722年)2月、厚恩院が没すると厚恩院に支給されていた300石を合わせて、600石が与えられ、上野氏の家督を継いだ。元文4年(1739年)2月、元文一揆が起こった際、寄合組に属していた忠親は、藩主・池田吉泰の命で農民の差し出した覚書の説明を行ったが、一揆に同情的との理由で同年4月、閉門を命じられた。『鳥取藩史』によれば閉門中は専ら、著述に励んでいたという。同年12月には閉門が免ぜられ、後に木鼡翁と名乗った。宝暦5年(1755年)5月9日、鳥取城下の茶町の屋敷にて病没、享年72。子の小平太が家督を継いだが、寛政年間に故有って家禄を減らされ、後に断絶した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「上野忠親」の詳細全文を読む




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