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三星ライオンズ : ミニ英和和英辞書
三星ライオンズ[みつぼし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [み]
  1. (num) three 
: [ほし]
 【名詞】 1. star 
ライオン : [らいおん]
 【名詞】 1. lion 2. (n) lion

三星ライオンズ ( リダイレクト:サムスン・ライオンズ ) : ウィキペディア日本語版
サムスン・ライオンズ[らいおん]

サムスン・ライオンズ(三星ライオンズ、Samsung Lions)は、韓国のプロ野球チームである。縁故地(ホームタウン)は大邱広域市。本拠地は同市内にある大邱サムスン・ライオンズ・パーク
== 概要・歴史 ==
韓国最大の大手企業グループであるサムスングループが親会社。本拠地は、当時の李秉喆(イ・ビョンチョル)オーナーの出身地で、サムスングループの発祥の地でもある大邱に定め、今日に至っている。なお、2012年7月に完成した浦項(慶尚北道)の新球場を準本拠地とし、2012年8月14日から16日まで初の1軍公式戦を開催し、2013年以降も時折1軍、2軍ともに公式戦を開催している。
韓国プロ野球草創期から親会社の莫大な支援をバックに強豪として君臨して、1990年代中盤の一時期を除くと、極端な低迷期もない。2014年シーズン終了時点で、2012年に新規参入したNCダイノスを除き、KBO発足当時から存続する球団としては唯一シーズン最下位の経験がない。もっとも悪かった成績は1996年の6位で、最下位から2番目である7位の成績すら記録していない。2009年シーズン終了現在、累積勝利、Aクラス入り回数、ポストシーズン及び韓国シリーズ出場回数で最多を記録しており、現存球団及び過去に韓国野球委員会に所属したすべての球団に対して累積対戦成績で勝ち越している。1997年から2008年までの12年連続ポスト・シーズン出場の記録は最長である。韓国シリーズ及び他のポスト・シーズンでは失敗も多く、韓国シリーズ16回出場で優勝は約半分の7度であり、韓国シリーズ出場を競うプレイオフでも12回出場で5勝7敗と負け越している。シリーズ初優勝も韓国プロ野球創設メンバーの中では一番遅い2002年と、後発のハンファ・イーグルスよりも遅かった。ズを通じての優勝にことごとく失敗した。失敗が重なるたびに、親会社の支援をバックにするフロントの現場への干渉が度を越して、普通の強豪へと成り下がり、ついに1990年代中盤は3年連続Bクラスとこの球団にとって唯一と言っていい低迷期を迎えた。マンネリの傾向から脱却のため、1990年代後半から、莫大な予算を投入して、フリーエージェント獲得、大型トレード、大物外国人選手獲得などあらゆる手を使ってチーム強化に成功。2002年ついに悲願の韓国シリーズ優勝を達成した。
1990年代後半から2003年までは李承燁が中心選手として活躍していた。かつては、1980年代は第1回の1982年を含めて韓国シリーズに4度出場するも、当時少数精鋭で最強戦力を誇ったヘテ・タイガースなどに阻まれ、準優勝4度。2002年まで、前後期リーグ統合優勝で韓国シリーズなしで優勝を決めた1985年が唯一の優勝であった。1986年以降、韓国シリーズが必ず開催されるようにルールが改正され、1990年代まで韓国シリーツ" TITLE="読売ジャイアン
1980年代は第1回の1982年を含めて韓国シリーズに4度出場するも、当時少数精鋭で最強戦力を誇ったヘテ・タイガースなどに阻まれ、準優勝4度。2002年まで、前後期リーグ統合優勝で韓国シリーズなしで優勝を決めた1985年が唯一の優勝であった。1986年以降、韓国シリーズが必ず開催されるようにルールが改正され、1990年代まで韓国シリーツ">読売ジャイアン
1980年代は第1回の1982年を含めて韓国シリーズに4度出場するも、当時少数精鋭で最強戦力を誇ったヘテ・タイガースなどに阻まれ、準優勝4度。2002年まで、前後期リーグ統合優勝で韓国シリーズなしで優勝を決めた1985年が唯一の優勝であった。1986年以降、韓国シリーズが必ず開催されるようにルールが改正され、1990年代まで韓国シリーツ
出身の新浦壽夫(韓国名:金日融)、広島東洋カープ出身の金城基泰(韓国名:金基泰)らが在籍していた。2001年には、バルビーノ・ガルベス(元読売ジャイアンツ)、ベン・リベラ(元阪神タイガース)も在籍していた。
2004年は韓国シリーズに進出し、現代と史上初となるシリーズ第9戦までもつれ込む熱闘を繰り広げたが、惜しくも敗れた。
2004年シーズンオフには新監督に宣銅烈を迎え、現代ユニコーンズから強打の外野手沈正洙(シム・ジョンス、2003年に53本塁打)、韓国を代表する名ショートの朴鎮萬(パク・チンマン)をFAで獲得する等の大型補強を行った。
2005年より春季・秋季キャンプは、日本沖縄県恩納村赤間ボールパークで実施している。シーズンは、中日ドラゴンズからマーチン・バルガスも移籍し公式戦優勝、韓国シリーズも4連勝で優勝し、アジアシリーズに進出したが、決勝戦で千葉ロッテマリーンズに敗れ、準優勝に終わった。
2006年シーズンは公式戦優勝。韓国シリーズでもハンファ・イーグルスを4勝1敗1引分で退け、2年連続の韓国シリーズ優勝を果たした。韓国シリーズ2連覇はヘテ・タイガース1986年-1989年1996年-1997年)、現代ユニコーンズ(2003年-2004年)についで3チーム目。前年に続きアジアシリーズに出場したが、予選リーグ最終戦で台湾La Newベアーズに逆転で敗れ予選敗退。3位に終わっている。
前年までの韓国シリーズ2連覇を支えた選手たちに衰えが見られた2007年は公式戦を4位で終え、準プレーオフに廻り、ハンファ・イーグルスに1勝2敗で敗れて3連覇への挑戦は失敗に終わった。2008年も公式戦4位に終わったが、史上最長となる12年連続のポストシーズン進出を決め、準プレーオフでは劣勢の評判を覆してロッテ・ジャイアンツに3連勝し、斗山ベアーズとのプレーオフに進出したが敗れた。だが2007年には見られなかった若手野手の台頭があり、大きな収穫のある1年となった。
2009年崔炯宇などの若手野手が主軸として更なる成長を遂げたものの、抑えの呉昇桓の戦線離脱など投手陣に不安があり、ロッテ・ジャイアンツとの4位争いに敗れ、公式戦5位で13年ぶりにポストシーズン進出を逃した。
2010年から、元中日の落合英二を投手コーチに、元中日・横浜の種田仁を打撃コーチとして迎えた。ブルペンの強化、さらなる若手野手の台頭によりSKワイバーンズとの優勝争いを繰り広げ、公式戦2位で2年ぶりにプレーオフ進出を決めた。一方で長年チームを支えてきた梁埈赫が引退し、9月19日に韓国プロ野球史上最も盛大な引退試合が行われた。プレーオフでは斗山ベアーズを3勝2敗で下し、4年ぶりに韓国シリーズ進出を決めたが、SK相手に1勝もできず4連敗してしまった。打撃コーチの種田が楽天コーチ就任の為退団した。12月末に宣銅烈監督が突如辞任した。
2011年からは、柳仲逸が監督として就任する。この年は、守護神・呉昇桓の復活もあり5年ぶりに公式戦優勝を果たした。韓国シリーズではSKワイバーンズを4勝1敗で降し、5年ぶりの韓国チャンピオンになった。アジアシリーズでは予選リーグを2勝1敗の2位で通過、決勝で福岡ソフトバンクホークスを5-3で破り初のアジア王者となった。
2012年より、李承燁が9年ぶりに復帰することとなり、2年連続公式戦優勝により3年連続韓国シリーズ出場を決め、3年連続で韓国シリーズで対戦したSKワイバーンズをやぶり、2連覇を達成した。同年のアジアシリーズにも韓国シリーズ優勝チームとして出場したが、台湾のLamigoモンキーズに敗れ予選リーグで敗退した。
2013年は韓国プロ野球史上初となる3年連続公式戦優勝を達成し、4年連続韓国シリーズに出場し、斗山ベアーズに勝利し球団史上初の3連覇を達成した。なお、公式戦、韓国シリーズともに3年連続優勝は韓国プロ野球史上初である。3年連続出場となった2013年のアジアシリーズでは準決勝でキャンベラ・キャバルリーに敗れた。
2014年は韓国プロ野球史上初の4年連続公式戦優勝・韓国シリーズ優勝(ネクセン・ヒーローズに勝利)を達成した。2015年は韓国プロ野球史上初の5年連続公式戦優勝を達成したが、韓国シリーズでは斗山ベアーズに敗れた。
KBO初年度の1982年から名称変更を行っていない。他に名称変更を行っていないチームはロッテ・ジャイアンツのみである。
大邸市民運動場野球場を本拠地とするサムスンが3塁側ベンチを使用する為、1塁側ベンチの使用は極めて少ない〔木洞野球場を本拠地にしているネクセンヒーローズも3塁側使用の為、1塁側使用はお互いの遠征試合のみである〕。同球場の老朽化により、大邱広域市東部の寿城区大邱サムスン・ライオンズ・パークに2016年より本拠地を移転した。新しく建設したこの球場でもサムスンは3塁側ベンチを使用する。
専用練習場は、大邱広域市の東隣・慶山市に慶山ボールパークがあり、そこで2軍の試合も開催している。海外キャンプでは2005年より継続的に沖縄県恩納村立赤間運動公園野球場を利用している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「サムスン・ライオンズ」の詳細全文を読む




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