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一川保夫 : ミニ英和和英辞書
一川保夫[いちかわ やすお]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [いち]
  1. (num) one 
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [ほ]
  1. (n,vs) guarantee 
: [おっと]
 【名詞】 1. (hum) (my) husband 

一川保夫 : ウィキペディア日本語版
一川保夫[いちかわ やすお]

一川 保夫(いちかわ やすお、1942年(昭和17年)2月6日 - )は、日本政治家、農林官僚
衆議院議員(3期)、参議院議員(1期)、防衛大臣第9代)、参議院災害対策特別委員長民主党参議院幹事長、参議院政策審議会長、参議院政治倫理審査会会長、石川県議会議員(2期)等を歴任。
== 来歴 ==
1942年(昭和17年)に石川県小松市に生まれる。石川県立松任農業高等学校を卒業後、三重大学農学部農業土木学科を卒業した。1965年(昭和40年)に農林省(現農林水産省)に入省して、以後25年間、農水省(その後の農林水産省)に勤務する〔「農家の長男旧農林省出身」『朝日新聞』45024号、12版、朝日新聞東京本社2011年9月3日、5面。〕。1990年(平成2年)に農林水産省を退官した。
1990年(平成2年)に父である一川保正の後を継いで石川県議会議員選挙に自由民主党公認で出馬し、初当選。石川県議会では石川県選出の奥田敬和系列に属した。1993年(平成5年)に奥田の自民党離党に伴い、一川は同じく石川県議会議員の金原博宇野邦夫らと共に自民党を離党して、新生党結党に参加した。翌1994年(平成6年)に新生党が解党した事により新進党結党に加わった。
1996年(平成8年)に奥田敬和の推挽により石川県議を辞職して、第41回衆議院議員総選挙石川2区から新進党公認で出馬した。石川2区では森喜朗に敗れるが、重複立候補していた比例北陸信越ブロックで復活して、初当選。同年、奥田が後見役を務める羽田孜と、新進党党首の小沢一郎の対立が激化した。羽田、奥田らは新進党を離党して太陽党を結成するが、一川は新進党に残留して、以後は小沢の側近として行動を共にする。
1997年(平成9年)末に小沢党首が突如新進党の解党を宣言して、自由党結党に参加した。1998年(平成10年)の第18回参議院議員通常選挙では、石川県選挙区で民主・自由・社民新党さきがけ4党が推薦した岩本荘太が現職の沓掛哲男を破り当選。参院選後に奥田が死去すると、補欠選挙に奥田敬和の長男・奥田建を擁立して当選させて、石川県非自民勢力の中心人物となった。2003年(平成15年)の民由合併により民主党に入党した。
2005年(平成17年)の第44回衆議院議員総選挙では、石川2区で森に敗れ、比例復活もできず落選したが、石川県連代表の職には留まった。
2007年(平成19年)の第21回参議院議員通常選挙に石川県選挙区から出馬して、自民党公認の矢田富郎を約4千票の僅差で破り、参議院議員に初当選。当初石川県連は別の候補者擁立を模索していたものの不調に終わり、やむなく県連代表の一川が擁立された。
2009年(平成21年)に輿石東参院議員会長の下で参院政策審議会長に就任。
2011年(平成23年)に成立した野田内閣防衛大臣に任命され初入閣したが、就任直後から閣僚としての自覚が欠落した言動・問題発言、行動が相次いだことから、第179回国会の会期末である12月9日付けで問責決議案が可決された(理由は後述の#防衛大臣としてを参照)が、一川は「責任問われる致命的なものはない」として辞任を拒んだ。しかし、2012年(平成24年)1月13日の野田改造内閣発足に伴い、在任四ヶ月で大臣を退任した。1月24日、輿石東幹事長が民主党参議院議員総会で一川を民主党参議院幹事長に起用することを提案し、了承された。
2012年7月の小沢による国民の生活が第一の結成には一切同調しなかった。同年12月の第46回衆議院議員総選挙において民主党が大敗したため衆参合わせて石川県の選挙区ないし北陸三県の選挙区で選出された唯一の民主党議員になった。
2013年(平成25年)7月21日の第23回参議院議員通常選挙にて自民党の新人山田修路に3倍近い差をつけられ大敗し、落選。選挙結果について、「有権者の判断基準が分からない」「これから有権者がマイナスを実感する」と述べた。また同選挙では富山県選挙区福井県選挙区も自民党の候補者が当選したため北陸3県から選出された民主党の国会議員はいなくなった。
2014年(平成26年)4月、旭日重光章を受章。同年12月の第47回衆議院議員総選挙において比例北陸信越ブロックに立候補したものの、落選。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「一川保夫」の詳細全文を読む




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