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ヴァシリコ・ユーリエヴィチ : ミニ英和和英辞書
ヴァシリコ・ユーリエヴィチ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ヴァシリコ・ユーリエヴィチ : ウィキペディア日本語版
ヴァシリコ・ユーリエヴィチ[ちょうおん]
ヴァシリコ・ユーリエヴィチ(、? - 1161年以降)はスーズダリ公ユーリー・ドルゴルーキーの子である。スーズダリ公:1149年 - 1151年〔Л.Войтович 3.17. МОНОМАХОВИЧІ. ЮРІЙОВИЧІ. РОСТОВСЬКА, СУЗДАЛЬСЬКА, МОСКОВСЬКА І ТВЕРСЬКА ГІЛКИ // КНЯЗІВСЬКІ ДИНАСТІЇ CXIДНОЇ ЄВРОПИ ― Львів - 2000〕、ポロシエ公:1155年 - 1161年。
父のユーリーが1149年キエフ大公として承認されてから、1155年にスーズダリ公に戻るまでの間、ユーリーのナメストニクとしてスーズダリの統治を任されていた。1157年の父の死以降、1161年まで、ヴァシリコはポロシエキエフ南方の軍事的入植地帯)を保持していた。それはキエフ大公位を狙うイジャスラフとユーリー一族の闘争の最終局面において、ヴァシリコが黒頭巾族(ポロシエの遊牧民の総称)と共に闘争に参加していたことによる。
その後、兄弟のアンドレイ・ボゴリュブスキー(ru)によってビザンツ帝国へ送られ、ドナウ川流域にいくらかの領土を得た。ヴァシリコの死亡年、また家族に関しては不明である。
==出典==




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヴァシリコ・ユーリエヴィチ」の詳細全文を読む




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