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ロロ : ミニ英和和英辞書
ロロ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ロロ : ウィキペディア日本語版
ロロ

ロロRollo、、846年頃 - 933年〔B.アルムグレン、p.45。〕)、洗礼名ロベールRobert、彼の子孫と区別するためにロベール1世と数えられることもある)は、ノルウェー人デンマーク人の指導者で、間もなくノルマンディーとして知られるようになったヴァイキングの公国の創始者。恵まれた体格が災いして、馬に乗ると馬を乗り潰してしまうので、いつも徒歩で移動し、「徒歩王」ロロ(Rollon le Marcheur)と渾名された。彼の子孫はノルマンディー公となった(ノルマンディー家)。
== 生涯 ==
メール侯ログンヴァルドと彼の正妻ヒルドとの間に生まれ、母方の祖父と同じ「フロールヴ」と名付けられた。彼は成長すると東バルト海方面を襲撃したが〔スノッリ、p.183。〕、ある夏、ヴァイキング行からヴィークに戻ると、そこで略奪行為を働いた。国内での略奪は法律で禁じられていたため、彼はハーラル美髪王の怒りを買い、民会で国外追放に処せられた〔スノッリ、p.184。〕。
追放後、彼は一族郎党を引き連れてヘブリディーズ諸島へ赴いた後、フランス北岸へ侵入し、荒らした〔スノッリ、p.185。〕。ヴァイキングの襲撃に悩まされていた西フランクシャルル3世は、ロロにヴァイキングの襲撃を防げばエプト川からリール川の間の土地(現在のノルマンディー地方東部)を与えると申し出た〔、G.キャンベル、p.145。〕。911年夏、ロロはシャルトルで大敗を喫した〔R.プェルトナー、p.37。〕。同年晩秋に両者はサン=クレール=シュール=エプト条約を結び、ロロはノルマンディー地方を得て、シャルル3世の庶出の王女ジゼルと結婚し、ノルマンディー公に叙された〔R.プェルトナー、p.38。〕。
ロロは贈り物の返礼として司教たちに国王の足に口づけするように求められたが、これを拒否して部下に代行させた。代行した部下はフランス王にひざまづいてキスをするのではなく、フランス王の片足をつかんで逆さまに吊り上げ、足にキスをした。これはロロたちノルマン人がいずれもが同等であり、主人を持たない気風によるものと伝えられている〔R.H.C.デーヴィス、p.76-77。〕。
条約を締結した1年後、ロロはキリスト教に改宗し〔R.プェルトナー、p.38。〕、当初王との約束を守ったが間もなく侵略に転じ、近隣諸国の領土を拡大し勢力を伸ばした〔G.キャンベル、p.145。〕。
子孫はギヨーム2世のときイングランドを征服し(ノルマン・コンクエスト)、国王(ウィリアム1世)となり、ノルマンディー公とイングランド王を兼任した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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