翻訳と辞書
Words near each other
・ ロマン・グレボヴィチ
・ ロマン・グレボヴィチ (ノヴゴロド公)
・ ロマン・グロージャン
・ ロマン・グーピル
・ ロマン・コウデルカ
・ ロマン・コストマロフ
・ ロマン・コズウォフスキ
・ ロマン・コズロースキー
・ ロマン・コッポラ
・ ロマン・コピン
ロマン・コンドラチェンコ
・ ロマン・ゴンチュク
・ ロマン・ザレツキー
・ ロマン・シェブルレ
・ ロマン・シェブレ
・ ロマン・シカール
・ ロマン・シシュキン
・ ロマン・シャロノフ
・ ロマン・シュリゼール
・ ロマン・シュル・イゼール


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ロマン・コンドラチェンコ : ミニ英和和英辞書
ロマン・コンドラチェンコ
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ロマン・コンドラチェンコ : ウィキペディア日本語版
ロマン・コンドラチェンコ

ロマン・イシドロヴィチ・コンドラチェンコ(;ウクライナ語:;1857年10月12日 - 1904年12月12日)は、帝政ロシア軍人ウクライナ人日露戦争当時のシベリア第7狙撃兵師団長。旅順攻囲戦における実質的なロシア軍側の司令官。陸軍中将
==生涯==

===経歴===
ロマン・コンドラチェンコはチフリスに生まれた。父はウクライナ人の退役少佐で、貴族化されたウクライナ・コサックの出身だった。家は貧しく、幼い頃から働きに出された。兄の援助のおかげで、ポロツク軍事中学校に入校できた。1874年に優秀な成績で卒業し、ペテルブルクのニコラエフ工兵学校(士官学校)に進んだ。
1877年に工兵学校を卒業し、中尉に任官、その後工兵へと進む。当初、故郷のチフリスに駐屯する第1工兵大隊に配属された。1879年、工兵アカデミーに入校し、近代要塞築城技術・戦術を学びロシア軍随一の要塞築城の権威となる。アカデミーを首席で卒業した後、バツーミに送られ、そこで築城技術を実地に移した。1884年、三等聖スタニスラフ勲章を授与され、大尉に昇進。バツーミでは、請負業者の詐欺に遭ったが、上司の理解を得て大事には至らず、参謀本部アカデミーに推薦された。
1885年、参謀本部アカデミーに入校し、1886年に首席で卒業した。1886年~1894年、ヴィレンスク軍管区参謀部で勤務し、大佐にまで昇進した。1895年、ウラル軍管区参謀長に任命されたが、間もなく第20狙撃連隊長となった。1900年始め、ペテルブルクに設置された建軍委員会の業務に移ったが、日本との関係悪化に伴い極東に赴任する。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ロマン・コンドラチェンコ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.