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ロビー・ロバートソン : ミニ英和和英辞書
ロビー・ロバートソン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ビー : [びー]
 (n) bee, (n) bee
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ロビー・ロバートソン : ウィキペディア日本語版
ロビー・ロバートソン[ちょうおん]

ロビー・ロバートソン(Robbie Robertson, OC1943年7月5日Robbie Robertson Biography 〕 - )は、カナダミュージシャンシンガーソングライターザ・バンドのメンバーとして活動した後、1987年にソロ・デビューを果たす。
== 来歴 ==
オンタリオ州トロント生まれ。父はユダヤ人、母はモホーク族インディアン。幼くしてギャングだった父が殺され、ロビーは貧しい環境の中、母親の手で育てられる。7歳のときにギターを覚えやがてロックンロールに熱中し地元のアマチュアバンドでファッツ・ドミノなどの作品に触れる。
1958年ロニー・ホーキンスのバック・バンドであるホークスに加入。はじめベースギターを担当したが、2年後にリードギターに転向する。そのギタープレイは、ホーキンスをして「この子は天才だ!」と言わしめたほどの早熟ぶりであった。ホークスはその後、1965年ボブ・ディランのバック・バンドとなり、ディランから「その後衛的なサウンドによって僕のナーヴァスな腸に触らない唯一の数学的ギタリスト」と評された。そしてザ・バンドと改名して1968年にデビュー。ロビーは、ザ・バンドが1976年に解散するまでリードギターと曲づくりに活躍し、バンドのリーダー的存在となり1975年には彼の作品ばかりをからなる傑作『南十字星』を発表し高い評価を受ける。だが、ロビーの、家にこもる学究肌のライフスタイルは、他のメンバーとの溝を深め、さらにはレコードの作品のクレジットにおいての問題やツアー演奏継続の意見の相違などがからんで、1976年11月のイベント『ラスト・ワルツ』を最後に、ロビーはバンドを脱退する事態となる。
このときドラムスのリヴォン・ヘルムとは絶縁状態となった。リヴォンは「彼のバンドにおける役割は否定しない。彼は重要な触媒であり、ザ・バンドの音楽の歴史に重要な貢献をした。しかし彼がなぜ、あんなふうにすべてを放り出さなくてはならなかったのか、ぼくは今になっても理解できない。」とロビーを非難した〔リヴォン・ヘルム著 菅野彰子訳「ザ・バンド 軌跡」1995 音楽の友社 ISBN4-276-23435-2 c0073〕。
ザ・バンド解散後は、セッション・ギタリストや音楽プロデューサーとして活動。また、1980年公開の映画『Carny』をプロデュースし、脚本制作に協力、俳優としても出演〔Carny(1980)-Full cast and crew-(IMDb) 〕。同年、マーティン・スコセッシの監督映画『レイジング・ブル』の音楽監督を務め、以後、ロビーはスコセッシの監督作品で度々音楽監督としてクレジットされる。
1983年にはザ・バンドが再結成されるが、ロビーは参加しなかった。1985年にはトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズのアルバム『Southern Accents』に、共同プロデューサーの一人としてクレジットされる。そして、1987年にソロ・デビュー作『ロビー・ロバートソン』発表。同作はロビーとダニエル・ラノワがプロデュースを担当し、U2の全メンバーやピーター・ガブリエルトニー・レヴィンテリー・ボジオ等が参加した。1989年には、坂本龍一ビューティ』にもゲスト参加。
1987年、雑誌「ローリング・ストーン」創刊20周年特別号で、ユダヤ系カナダ人とカナダ側モホーク族インディアンの混血であることを明かし、同年発表のソロ・デビュー作『ロビー・ロバートソン』は、この出自について歌ったものであるとコメントした。それまでのロビーを取り巻く音楽環境は、裕福なユダヤ人社会であったため(彼の育った環境は極貧のインディアン社会である)、「私一人で活動しているわけではなかったから、個人的な志向で音楽性を変えるわけにいかなかった」と述べている。以後、インディアンとしての音楽活動を強く打ち出すようになる。
ソロ2作目の『ストーリーヴィル』(1991年)は、ニューオーリンズ音楽からの影響を取り入れた作品で、ミーターズの全メンバーやアーロン・ネヴィルニール・ヤング等がゲスト参加。
1994年、テレビ番組『The Native Americans』の音楽を担当し、サウンドトラック・アルバムは、ロビー・ロバートソン&ザ・レッド・ロード・アンサンブル名義のアルバム『ネイティヴ・アメリカン』として発表された〔Robbie Robertson Goes Native…American - Los Angeles Times - article by Steve Hochman - 2014年8月19日閲覧〕。同作は、インディアンの伝統音楽とテクノロジーを融合した音楽性で、チェロキー族リタ・クーリッジ等が参加。
1998年のアルバム『コンタクト・フロム・ジ・アンダーワールド・オブ・レッド・ボーイ』も、再びインディアンの伝統音楽に影響を受けた作品となった〔Contact from the Underworld of Redboy - Robbie Robertson | AllMusic - Review by Stephen Thomas Erlewine〕。リタ・クーリッジ、Joanne Shenandoah(後にニール・ヤング等と共演するオナイダ族の女性歌手)等が参加。同アルバムに収録された「サクリファイス」という曲は、インディアン権利団体「アメリカインディアン運動(AIM)」のメンバーで、無実の罪で終身刑服役中のインディアン運動家レナード・ペルティエの電話によるメッセージを曲中に採り入れるという実験的なものとなった。ロビーはこの曲についてこう述べている。「私はライブパフォーマンスはしない。だがスタジオ録音であっても人が人を巻き込むグルーブ感のある音楽は作れると思っている」
2003年、Canada's Walk of Fameに名前が彫られる〔Robbie Robertson|Canada's Walk of Fame 〕。
同年、ローリング・ストーン誌が選出した歴史上最も偉大な100人のギタリストでは78位〔Rolling Stone 100 Greatest Guitarists of All Time 〕、2011年の改訂版では第59位に選ばれている。また、2007年の「歴史上最も過小評価されている25人のギタリスト」においては第20位に入っている〔The Twenty-Five Most Underrated Guitarists 〕。
その後、2008年にはザ・バンドとともにグラミー賞特別功労賞を受賞。
2011年、13年振りの新作『ハウ・トゥ・ビカム・クレアヴォヤント』を発表。同アルバムにはエリック・クラプトンが7曲でゲスト参加し、更にスティーヴ・ウィンウッド、ロバート・ランドルフ、トム・モレロトレント・レズナー等も参加した〔Listen to Robbie Robertson's New LP 'How to Become Clairvoyant' | Rolling Stone - 2014年11月7日閲覧〕。同年5月にはカナダ勲章を授与されている〔Governor General notice: Robbie Robertson, O.C. 〕〔Michael J. Fox among 43 invested in Order of Canada - The Globe and Mail - 2014年8月19日閲覧〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ロビー・ロバートソン」の詳細全文を読む




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