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ロバート・キロガ : ミニ英和和英辞書
ロバート・キロガ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ロバート・キロガ : ウィキペディア日本語版
ロバート・キロガ[ちょうおん]

ロバート・キロガRobert Quiroga、男性、1969年10月10日 - 2004年8月16日)は、アメリカ合衆国プロボクサーテキサス州サンアントニオ出身。第8代IBF世界スーパーフライ級王者。
== 来歴 ==

1987年3月16日、キロガは地元サンアントニオでデビューを果たし2回TKO勝ちで白星でデビューを飾った。
1988年10月2日、全米ランカーアルバロ・メルカドと対戦し5回TKO勝ちで全米ランカー入りを果たした。
1989年7月7日、サンアントニオのサンケン・ガーデンズでジョイ・オリボとWBCアメリカ大陸スーパーフライ級王座決定戦を行い、12回判定勝ちで王座獲得に成功と、WBCでの世界ランカー入りを果たす。
1989年12月1日、フリーマン・コロシアムでUSBA全米スーパーフライ級王者レイ・メデルと対戦し12回判定勝ちで王座獲得に成功した。
1990年4月21日、世界初挑戦がキロガ初の海外試合。イギリスタイン・アンド・ウィアサンダーランドのクラウツリー・レジャー・センターでIBF世界スーパーフライ級王者ファン・ポロ・ペレスと行い、12回3-0の判定勝ちで王座獲得に成功した。
1990年10月6日、イタリアシチリア州パリアーラのタウン・スクエアーでブヤニ・ネネと対戦し初回と3回にダウンを奪うなど優位に進め3回終了時棄権で初防衛に成功した。
1991年1月26日、シチリア州カーポ・ドルランドのプラゼット・デッロ・スポートでビンセンゾ・ベルカストロと対戦しキャリア初の苦戦を演じながらも12回2-1の判定勝ちで2度目の防衛に成功した。
1991年6月15日、24戦無敗のキッド・アキームと対戦し接戦になりながらも12回3-0の判定勝ちで3度目の防衛に成功した。打ち合いの試合が評価されて1991年度リングマガジン ファイト・オブ・ザ・イヤーに選出された。アキームは試合後意識を失って病院に搬送され急性硬膜下血腫と診断されてすぐに開頭手術を行うほどの激闘でアキームはこの試合を最後に23歳の若さで現役を引退することになった。
1992年2月14日、24戦無敗のカルロス・メルカドと対戦し12回3-0の判定勝ちで4度目の防衛に成功した。
1992年7月11日、ホセ・ルイスとネバダ州ラスベガスアラジンで行われ12回2-0の僅差判定勝ちで5度目の防衛に成功した。1人がドローで残りの2人は1点差(114-113)の接戦だった。
1993年1月16日、サンアントニオのフリーマン・コロシアムでフリオ・セサール・バルボアと対戦し初黒星となる12回2分30秒TKO負けで6度目の防衛に失敗し王座から陥落した。
1995年1月7日、2年振りの復帰戦をフリーマン・コロシアムでアンシー・ゲデオンと対戦し3回にダウンを奪われるなど劣勢で8回0-2の判定負けを最後に現役を引退した。
その後はモーターサイクルで活動の幅を広げようとしたが2004年8月16日、所属するグループの連中とトラブルになり刺殺された。34歳没。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ロバート・キロガ」の詳細全文を読む




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