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ロナルド・フィッシャー : ミニ英和和英辞書
ロナルド・フィッシャー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ロナルド・フィッシャー : ウィキペディア日本語版
ロナルド・フィッシャー[ちょうおん]

サー・ロナルド・エイルマー・フィッシャー Sir Ronald Aylmer Fisher1890年2月17日1962年7月29日)はイギリス統計学者進化生物学者遺伝学者優生学者である。現代の推計統計学の確立者であるとともに、集団遺伝学の創始者の1人であり、またネオダーウィニズムを代表する遺伝学者・進化生物学者でもあった。王立協会フェロー。
==生涯==

===少年・青年期===
少年時代から数学の才能を発揮するとともに生物学にも興味を持った。1909年ケンブリッジ大学に進み、数学を学ぶとともにジョン・メイナード・ケインズやホレース・ダーウィン(チャールズ・ダーウィンの息子)とともに優生学研究会を組織した。
卒業後まもなく第一次世界大戦が始まるが、この時期は会社の統計係やパブリックスクールの教職などをしながら、遺伝学と統計学の研究を続けた。この時期に彼は論文『''The Correlation to be Expected Between Relatives on the Supposition of Mendalian Inheritance''(メンデル遺伝を仮定した場合に血縁者間に期待される相関)』を書いたが、この論文は連続変数的遺伝がメンデルの法則と両立することを示すものであるとともに、当時すでにカール・ピアソンらによって用いられていた相関分析の方法に、分散分析という非常に重要な方法を導入するものでもあった。1917年にはアイリーン・ギネスと結婚し、その後8人もの子をもうけた(自らの家庭生活に関しても優生学的な考察を行ったといわれている)。
終戦とともに新しい職探しを始め、ピアソンに招かれたものの、彼に反感を抱いてこれを断り、1919年ハートフォードシャー州のロザムステッド農事試験場(Rothamsted Experimental Station)の統計研究員に就職した。ピアソンや息子のエゴン・ピアソンらとは、のちに統計学に関して大論争を起こすことになる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ロナルド・フィッシャー」の詳細全文を読む




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