翻訳と辞書
Words near each other
・ ロドルフ・クロイツェル
・ ロドルフ・テップファー
・ ロドルフ・テプファー
・ ロドルフ・テプフェール
・ ロドルフ・ド・エムリクール・ド・グリュヌ
・ ロドルフ・ド・エムリコート・ド・グリュヌ
・ ロドルフ・ラドー
・ ロドルホ・ゴンザレス
・ ロドン
・ ロドヴィコ2世
ロドヴィコ・グロッシ・ダ・ヴィアダーナ
・ ロドヴィコ・ヴィアダーナ
・ ロドヴィーコ
・ ロドヴィーコ・ディ・サヴォイア
・ ロド・ファンニ
・ ロド・リオン
・ ロナウジーニョ
・ ロナウジーニョ・ガウショ
・ ロナウジーニョ・ガウーショ
・ ロナウダン


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ロドヴィコ・グロッシ・ダ・ヴィアダーナ : ミニ英和和英辞書
ロドヴィコ・グロッシ・ダ・ヴィアダーナ[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ロドヴィコ・グロッシ・ダ・ヴィアダーナ ( リダイレクト:ロドヴィコ・ヴィアダーナ ) : ウィキペディア日本語版
ロドヴィコ・ヴィアダーナ[ちょうおん]

ロドヴィコ・ヴィアダーナLodovico (Grossi da) Viadana, 1560年頃 - 1627年5月2日)はイタリア作曲家、音楽教師、フランシスコ会托鉢修道士通奏低音の技法、とりわけ数字付きバスの慣習を定着させ、ルネサンス音楽の没落と、バロック音楽の興隆を決定づけた最初の重要人物。本来の苗字はグロッシ(''Grossi'')であったが、伝統的に出身地が姓であるかのように扱われてきた。
== 生涯 ==
パルマ近郊のヴィアダーナ出身。おそらくはコスタンツォ・ポルタに師事して、1594年マントヴァ大聖堂の教会楽長に着任。1597年ローマに行き、1602年にはマントヴァのサン・ルカ大聖堂の聖歌隊指揮者となる。イタリア中の様々な聖堂で矢継ぎ早に地位を得た。1614年から1617年までの3年間に、ボローニャ管区全域(フェラーラ、マントヴァ、ピアチェンザほか)で聖職者として地位を得る。1623年までにブセットに移り、サンタンドレア女子修道院に勤めた。パルマ近郊グアルティエーリに没する。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ロドヴィコ・ヴィアダーナ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Lodovico Grossi da Viadana 」があります。




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.