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ロイヤルアカデミー : ミニ英和和英辞書
ロイヤルアカデミー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ロイヤルアカデミー : ウィキペディア日本語版
ロイヤルアカデミー[ちょうおん]

ロイヤルアカデミー (〔1954年に本馬と同じくアメリカ合衆国で生産されたRoyal Academyが存在するため、血統表記上では「2頭目」を表す「II」が付与され、「ロイヤルアカデミーセカンド」と読まれる。なお「I」はステークス競走2勝を含む8勝を挙げている。〕) は、アメリカ合衆国生産の競走馬種牡馬。競走馬としてのおもな勝ち鞍はジュライカップブリーダーズカップ・マイルなど。競走馬引退後にアイルランドで種牡馬となったのち、シャトル種牡馬として世界的な成功を収めた。
半姉にアメリカで重賞5勝を挙げたターリングア、半兄に同3勝で種牡馬のパンチョヴィラ(ともに父セクレタリアト)。ターリングアの産駒に2度のアメリカリーディングサイアーを獲得したストームキャットがいる。
== 経歴 ==
当歳時に出品されたキーンランド当歳馬セールにおいて、この年の最高価格となる350万ドルでヴィンセント・オブライエンに落札される。2歳時にアイルランドに送られヴィンセント・オブライエン厩舎に入り、オブライエンが経営に関わるクラシック・サラブレッズ社の所有馬として競走馬となった。
競走馬時代はアイルランド、イギリス、アメリカで走り、ふたつのG1競走を含む重賞3勝を挙げた。引退レースとなった生国アメリカのブリーダーズカップ・マイルでは、主戦騎手を務めていたジョン・リードが負傷したことにより、脱税による収監から仮出所したばかりの大騎手レスター・ピゴットが手綱を取って優勝し大きな喝采を浴びた。この競走をもって3歳で競走馬を引退し、アイルランドのクールモアスタッドで種牡馬となる。
早くからアイリッシュセントレジャーを2勝したオスカーシンドラーサセックスステークス優勝馬アリロイヤルなどのG1優勝馬を輩出し、種牡馬としても一定の成果を上げる。1994年からはシャトル種牡馬としてオーストラリアでも種付けを行うようになり、同地でも多くの活躍馬を送り出して名種牡馬との評価を確立した。1996年には1年限定のリース契約で日本でも供用され、1998年からはアメリカで供用されている。また2000年からは南アメリカでも種付けを行い、ブラジルで多くの活躍馬を輩出している。
種牡馬の父、繁殖牝馬の父としても実績を残しており、ベルエスプリからはオーストラリアの連勝記録を無敗でマークした最強スプリンターのブラックキャビア、ヴァルロイヤルからはイギリスアイルランドの2000ギニーを制したコックニーレベルが出ている。母の父としてはイギリスとアイルランドの1000ギニーなどG1を3勝のフィンシャルベオハットトリック産駒でフランス2歳G1を2勝してカルティエ賞最優秀2歳牡馬を受賞したダビルシムなどが出ている。
2007年からはオーストラリアに定住し、2010年に種牡馬を引退。その後も功労馬としてクールモア・オーストラリアで余生を送り、25歳で老衰のため世を去った。それまでにステークスを勝った産駒は160頭以上、獲得賞金は1億2000万USドルに及んでいた〔Royal Academy passes away aged 25 〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ロイヤルアカデミー」の詳細全文を読む




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