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レジー・ブッシュ : ミニ英和和英辞書
レジー・ブッシュ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

レジー・ブッシュ : ウィキペディア日本語版
レジー・ブッシュ[ちょうおん]

レジー・ブッシュ(Reginald Alfred Bush II、1985年3月2日- )はカリフォルニア州サンディエゴ出身のアメリカンフットボール選手。現在NFLサンフランシスコ・フォーティナイナーズに所属している。背番号は25番。ポジションはランニングバック。2005年にハイズマン賞を受賞したが、2010年9月に返上した。
== 経歴 ==

=== 大学時代 ===

ピート・キャロルのリクルートを受けて南カリフォルニア大学(USC)に入団した。2003年から2005年まで、彼の在学中3年間にチームは全米1位に2度なっている。1年次の2003年にUSCの選手としては1974年のアンソニー・ジョンソン以来となるキックオフリターンでパシフィック・テン・カンファレンストップの成績を残しフレッシュマン・オールアメリカンに選ばれた。彼の獲得したオールパーパスヤードは1331ヤードとなり、これは大学の新人記録となった。90回のランで521ヤードを獲得し3タッチダウンをあげた。
2004年には数試合で先発出場しなかったが143回のランで908ヤード(平均6.3ヤード)を獲得し6タッチダウン、レシーブでも43回で509ヤード(平均11.8ヤード)を獲得7タッチダウン、またキックオフリターンでは平均25.6ヤード、パントリターンでは平均15.7ヤードをあげてハイズマン賞の投票で5位となると共にウォルター・キャンプ賞のファイナリストにもなった。トータルで2,330ヤードを獲得した彼はマーカス・アレン以来となるカンファレンストップのオールパーパスヤードを獲得した。この年彼は52ヤードのタッチダウンパスも投げている。
2005年には200回のランで1740ヤード(平均8.7ヤード)を走り16タッチダウンをあげた。またチーム3位の39回のレシーブで481ヤード(平均12.9ヤード)2タッチダウンもあげている。パントリターンでは平均9.9ヤード、キックオフリターンでは平均17.6ヤードを走った。全米トップの1試合平均で合計222.3ヤード(ランで全米4位の平均133.85ヤード)を獲得しハイズマン賞ドーク・ウォーカー賞AP通信によるカレッジフットボール最優秀選手などに選ばれた(ハイズマン賞についてはスポーツマーケティング会社からの不当な利益供与があった事が発覚し返上した)。11月19日のカリフォルニア州立大学フレズノ校戦ではランで294ヤード、レシーブで68ヤード、リターンで151ヤードと合計513ヤードのカンファレンス記録を達成している。3シーズンのキャリアで39試合に出場先発出場はわずか14試合だったがNCAAディビジョンI-A史上10位となるオールパーパスヤード6,541ヤード(ラン433回で3,169ヤード(平均7.3ヤード)25タッチダウン、レシーブ95回で1,301ヤード(平均13.7ヤード)13タッチダウン、キックオフリターンで1,522ヤード1タッチダウン、パントリターンで559ヤード)3タッチダウンの成績を残した。
2005年に合計2,611ヤード、18タッチダウンをあげた〔Trophy hopeful Bush from humble beginnings, tries to stay that way Sing On SanDiego.com 2005年12月8日〕彼は12月10日に行われたハイズマン賞の投票で1位票784を獲得〔USC's Bush wins Heisman by monumental margin ESPN 2005年12月11日〕、合計2,541ポイントで2位のヴィンス・ヤング(1位票79、合計1,608ポイント)などを破り受賞した(当時)。3位には1位票18を獲得したマット・ライナートがなった。この時点で彼はハイズマン賞選考でO・J・シンプソン(1968年に1位票855で選出された。)に次ぐ歴代2位となる1位票〔、ポイントを獲得した。USC出身選手としては史上7人目の受賞であった(現在同校出身選手は6人受賞)。彼はドーク・ウォーカー賞Doak Walker Award Recipients
ウォルター・キャンプ賞Walter Camp Football Foundation Awards 〕も受賞しカンファレンスの最優秀攻撃選手にも選ばれた。彼とチームメートのマット・ライナートローズボウル史上初のハイズマン賞受賞者コンビとなった(当時)。テキサス大学とのこの試合で彼はランで82ヤード、レシーブで95ヤード、キックオフリターンで102ヤードを獲得し1タッチダウンをあげたが試合は敗れ相手QBのヴィンス・ヤングや123ヤードを走り、3タッチダウンをあげたチームメートのレンデル・ホワイトに比べて目立たなかった。試合中ロングランをしてタックルを受ける前に彼はラテラルパスを試みたが失敗し相手にボールを奪われている。
2004年にUSCが獲得した全米王座のタイトルは剥奪された。
彼が返上したハイズマン賞のレプリカトロフィーはNCAAに返却され、その後博物館に貸しだされていたが、2011年7月15日に彼の家族に返還された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「レジー・ブッシュ」の詳細全文を読む




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